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<title>コラム</title>
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<title>定期テストや高校入試にも役立つ公民のまとめ『日本国憲法』</title>
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中3生の社会では公民を学習していくことになります。公民を学ぶことは、現代社会や国際社会における自分の役割と責任を理解し、民主的で平和な社会の形成に貢献する上で不可欠なことです。具体的には、政治、法律、経済、倫理などの分野を学ぶことで、より良い社会を築くための知識や思考力を身につけることができるのです。この記事では数回にわたって、公民の学習ボイントを整理していきます。第2回目は『日本国憲法』です。どうぞご覧ください!目次日本は特定の人間によって支配されず、憲法に基づいて生活を送る立憲主義国家です。そのため、政治権力が乱用されることはなく、憲法によって国民の自由や権利が守られています。憲法は、おもに「人権の保障」と、「国の政治の仕組み」の二つから構成され、憲法に反する法律や命令は、効力を持ちません。現在の日本国憲法は、それまで天皇が主権者として定められていた大日本帝国憲法を、国民を主権者とするよう、第二次大戦後、GHQ（連合国軍最高司令官総司令部）の作成した原案をもとにつくられました。国民の人権の保障を強化した「国民主権」、戦争を放棄する「平和主義」、国民一人ひとりの生きる尊厳を保障する「基本的人権の尊重」は、日本国憲法の三つの基本原則とされています。国の政治は国民によって選ばれた代表者が行なう議会制が採用され、国民による選挙の重要性が高まりました。天皇は主権者ではなく、日本国と日本国民統合の象徴となり、天皇の国事行為にはすべて内閣の助言と承認が必要となっています。日本国憲法は、昭和21年（1946年）11月3日に公布され、昭和22年（1947年）5月3日に施行されました。この施行日である5月3日は「憲法記念日」として祝日となっています。日本国憲法は、国民主権、基本的人権の尊重、平和主義を基本原理としています。日本国憲法の３つの原則（三大原則）は、国民主権、基本的人権の尊重、平和主義です。国民主権は国民が国の政治を決定する権利を持つこと、基本的人権の尊重はすべての人が生まれながらに持つ権利を最大限に尊重すること、そして平和主義は戦争の放棄、戦力の不保持、交戦権の否認を定めることです。1.国民主権（こくみんしゅけん）国の政治のあり方を国民自身が決めるという原則です。国民は、選挙などを通して政治に参加し、自らの意思で国の方向性を決定する権利を持ちます。2.基本的人権の尊重（きほんてきじんけんのそんちょう）人が生まれながらにして持っている権利（自由権、平等権、社会権など）を最大限に尊重し、保障する原則です。この権利は、人間が人間らしく生きるために不可欠な、侵すことのできない永久の権利とされています。3.平和主義（へいわしゅぎ）「戦争の放棄」、「戦力の不保持」、「交戦権の否認」を定めることで、恒久平和の実現を目指す原則です。これは第二次世界大戦の反省に立ち、戦争のない平和な日本を築くことを決意したものです。現在の日本国憲法は、第二次大戦の経験から、戦争を放棄して世界の恒久平和を目指す、平和主義を基本原理としています。その中では戦力の保持は認めていませんが、国を防衛するために自衛隊が置かれています。これには、自衛か武力かで憲法に対する意見が分かれ、たびたび問題になります。また、アメリカとの間で結ばれた日米安全保障条約（日米安保）によって、日本にはアメリカ軍の基地や施設が数多くあります。他国からの攻撃に共同して対処するために必要だと考えられているからです。現在世界の各地では、地域紛争が起こり、テロの脅威も高まっています。自衛隊はこうした情勢の中で国連平和維持活動（PKO）や各地の紛争処理へ参加するなど、世界で様々な活動をしています。日本は世界で唯一、核兵器を「持たず、つくらず、持ちこませず」という非核3原則をかかげており、軍縮とあわせて核兵器を撤廃して国際平和を訴えることも日本の使命といえます。立憲主義政府の権限を制限し、憲法によってすべてが決まる社会の仕組みのこと。日本国憲法前文と11章・103条からなり、1946年（昭和21年）11月3日に公布、翌年の5月3日に施行された。国民主権国民一人ひとりが政治に参加できる権利を持っていること。平和主義戦争を放棄し、戦力を持たず、交戦権を認めないこと。基本的人権の尊重国民全員が人間らしく生きるための権利を持っていること。地域紛争第二次世界大戦ほど大規模なものではなく、異なる文化や宗教による民族間の紛争。テロ組織化した武装集団が、敵対する国の軍隊や警察、さらには一般人を攻撃する行為。国連平和維持活動（PKO）国連が紛争地域などで、停戦を求めたり監視したりする活動。栄進塾(東出雲校・斐川校・三刀屋校)では、理科・社会の映像授業(通塾型)を導入しております。専用テキストに完全対応したオンデマンドシステムを使って、「タブレットによる動画視聴＋問題演習」のかたちで授業を進めていきます。動画での学習というと講義を延々と視聴するイメージを持つかもしれませんが、この映像授業は解説・演習・定着の3ステップ学習で成り立っており、動画は主にポイント解説や答えの丸付けのサポートとして使用します。このシステムでは、現役塾講師による単元や問題の解説がわかりやすくコンパクトにまとめられており、効率よくメリハリのある学習が可能です。自分が得意な部分は動画をスキップしても構いませんし、逆に苦手な部分はじっくりと理解できるまで何度も視聴することが可能です。栄進塾(東出雲校・斐川校・三刀屋校)の通常授業で「理科・社会の映像授業」を受講することが可能です。
いつからでもスタート可能ですので、この機会にぜひご検討ください!
※申し込みは当ホームページの入塾・体験申し込みボタン、または各教室のLINEからでも申し込みが可能です。栄進塾の映像授業で社会を得意科目にしましょう!
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<link>https://eishin-juku.net/column/detail/20230930174149/</link>
<pubDate>Thu, 04 Sep 2025 17:41:00 +0900</pubDate>
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<title>定期テストや高校入試にも役立つ公民のまとめ『現代社会の特色』</title>
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中3生の社会では公民を学習していくことになります。公民を学ぶことは、現代社会や国際社会における自分の役割と責任を理解し、民主的で平和な社会の形成に貢献する上で不可欠なことです。具体的には、政治、法律、経済、倫理などの分野を学ぶことで、より良い社会を築くための知識や思考力を身につけることができるのです。この記事では数回にわたって、公民の学習ボイントを整理していきます。第1回目は『現代社会の特色』です。どうぞご覧ください!目次グローバル化とは、国境を越えて経済、文化、政治などが相互に影響し合い、世界全体が一体化していく現象を指します。具体的には、人、モノ、情報、資本などの国際的な移動が活発化し、世界各地が相互に依存し合う関係が深まることを言います。グローバル化の主な内容は以下の4つとなります。□社会的なグローバル化:人々の生活や行動がグローバル化の影響を受け、異なる文化や価値観を持つ人々と交流する機会が増えること。□経済的なグローバル化:資本や労働力の国際移動、貿易・投資の増加により、世界経済が一体化していくこと。□文化的なグローバル化:海外の文化や価値観が世界各地に広がり、異なる文化が相互に影響し合うこと。□政治的なグローバル化:国際的な組織や協定などが重要性を増し、各国が相互に連携して国際問題を解決していくこと。グローバル化が進むと、商品の質や価格の面で競い合う国際競争が生まれ、各国が得意の産業を積極的に輸出することで発展し、そうでない産業は輸入でまかなう国際分業が進みました。例えば日本では、自動車産業が主な輸出産業として発展しているものの、食品の大半は輸入に頼っています。その結果、国内の食料自給率が徐々に低下するという問題も発生しています。グローバル化により、日本で暮らす外国人や、海外で暮らす日本人が増えています。そのため、産業面だけでなく文化面でも交流する多文化社会となりつつあります。一方、新型インフルエンザの世界的な大流行や、国の貧富の差が大きくなるなど、悪影響も生じています。こうした中、先進国である日本の役割はいっそう重要なものとなっています。情報化とは、情報技術の進歩によって、情報が収集、処理、伝達、利用されることによって、社会組織や生活が変化していくことを指します。具体的には、インターネットの普及や携帯電話の利用、オンラインショッピング、電子マネーの普及など、情報技術が日常生活に浸透していくことを意味します。情報化の例としては以下の事柄が挙げられます。□オンラインショッピング:インターネットで商品を販売・購入する.□電子マネー:携帯電話やICカードを使って支払う.□Webサイトでの情報の公開:企業や政府がウェブサイトで情報を公開する.□情報セキュリティ:個人情報保護やサイバー攻撃対策など.新聞・電話・テレビ・ラジオなどのほか、近年ではインターネットの普及にともない、手軽に世界の情報を入手したり発信したりすることができるようになりました。私たちは情報社会の中で生きており、今や情報は生活に欠かせないものとなっています。情報化は便利な生活をもたらし、今後ますます普及していくことが予想されています。しかし、例えばインターネットには大量の情報があふれているように、一人ひとりが正しく情報を活用する力も必要になってきています。また、個人情報の正しい取り扱い方法や、他人に迷惑をかけない情報の発信力も求められています。少子高齢化とは、出生率の低下と高齢者人口の増加を指し、日本が直面している深刻な人口問題です。具体的には、出生率が人口維持に必要な水準を下回る状態（少子化）と、高齢者人口の割合が増加する状態（高齢化）が同時に進行していることを意味します。
少子高齢社会になると、労働力人口が減少する一方で年金を受け取る高齢者が増加するため、国民一人あたりの経済的な負担が増え、社会保障の面でも大きな影響が出ます。今後の日本は、高齢化の進行に対応した社会づくりとともに、子どもを産みたいと思っている人々が安心して出産し、育てられるような少子化を防ぐ仕組みを整備する必要があります。少子高齢化の現状人口減少:2008年にピークに達した総人口は約1億2800万人ですが、その後減少に転じ、2023年には約1億2600万人にまで減少しました.少子化:合計特殊出生率（女性1人が生涯に出産する子どもの数の平均）が、人口を維持するのに必要な2.0を下回っており、現在1.2台と低迷しています.高齢化:65歳以上の高齢者人口の割合が28%を超え、超高齢社会に突入しています.少子高齢社会になると、労働力人口が減少する一方で年金を受け取る高齢者が増加するため、国民一人あたりの経済的な負担が増え、社会保障の面でも大きな影響が出ます。今後の日本は、高齢化の進行に対応した社会づくりとともに、子どもを産みたいと思っている人々が安心して出産し、育てられるような少子化を防ぐ仕組みを整備する必要があります。少子高齢化への対策としては以下の点が挙げられます。□子育て支援の充実:育児休業制度の拡充、保育施設の整備、子育て費用の軽減などが求められる.□就業環境の改善:女性の社会進出を促進し、高齢者の就業を支援する.□高齢者福祉の充実:高齢者の健康増進や介護サービスの充実を図る.□少子高齢化対策と地域共生社会の実現:少子高齢化対策と同時に、多様な人々が地域で互いに支え合う共生社会の実現を目指す.国際競争自国の商品を輸出できるよう、他国と競い合うこと。国際分業それぞれの国や地域で、有利な条件で貿易できるように産業の役割を分担しあうこと。食料自給率国内で消費される食料に対し、国内でどれだけ生産しているかを示す数値。多文化社会様々な文化を持った外国人が、お互いの文化を認め合い、共生する社会。情報化社会日々の生活の中で、様々な情報が影響している社会。情報化通信技術の発達により、大量かつ多様な情報が発信・受信・共有できるようになること。出生率一人の女性が一生のうちに産む子供の平均人数の割合。少子高齢化総人口に占める子どもの割合が減り、高齢者の割合が増えること。社会保障生活が困難な人に対して、国や地方が生活の保障を行なうしくみ。栄進塾(東出雲校・斐川校・三刀屋校)では、理科・社会の映像授業(通塾型)を導入しております。専用テキストに完全対応したオンデマンドシステムを使って、「タブレットによる動画視聴＋問題演習」のかたちで授業を進めていきます。動画での学習というと講義を延々と視聴するイメージを持つかもしれませんが、この映像授業は解説・演習・定着の3ステップ学習で成り立っており、動画は主にポイント解説や答えの丸付けのサポートとして使用します。このシステムでは、現役塾講師による単元や問題の解説がわかりやすくコンパクトにまとめられており、効率よくメリハリのある学習が可能です。自分が得意な部分は動画をスキップしても構いませんし、逆に苦手な部分はじっくりと理解できるまで何度も視聴することが可能です。栄進塾(東出雲校・斐川校・三刀屋校)の通常授業で「理科・社会の映像授業」を受講することが可能です。
いつからでもスタート可能ですので、この機会にぜひご検討ください!
※申し込みは当ホームページの入塾・体験申し込みボタン、または各教室のLINEからでも申し込みが可能です。栄進塾の映像授業で社会を得意科目にしましょう!
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<link>https://eishin-juku.net/column/detail/20230930171705/</link>
<pubDate>Wed, 07 May 2025 17:17:00 +0900</pubDate>
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<title>定期テストや高校入試にも役立つ中学歴史のまとめ『市民革命と産業革命』</title>
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中学生にとって、社会の歴史は重要教科の一つです。歴史は覚えることも多いので、各時代別に時代の流れや特徴を押さえることが必要です。この記事では数回にわたって、各時代別の概要やキーワード・キーパーソンなどを紹介し、それぞれの時代がどんな特徴を持つのかを把握してもらいたいと思います。第11回目は『市民革命と産業革命』の内容となります。どうぞご覧ください!目次17世紀のヨーロッパでは、オランダが経済や文化の中心地でした。オランダは日本との貿易も行なうなど、多くの国と交易をしていました。フランスやイギリスは、オランダに対抗して産業を育てて軍備を整えました。1600年に、イギリスが東インド会社を設立して海外に進出し、茶や絹織物など海外の産物が広まりました。新聞や雑誌も発行され、博物館も建設されました。また近代のヨーロッパでは、合理的・科学的な態度で、これまでの制度や考え方を批判する思想が生まれ、市民社会の成立に大きな影響をもたらしました。この考え方を、啓蒙思想と呼びます。代表的な３人の啓蒙思想家の考え方は以下の通りです。◇社会契約説と抵抗権を唱えたロックイギリスの哲学者ロックは１７世紀に社会契約説と抵抗権という考え方を提唱しました。社会契約説とは「社会や国家は、各個人との契約によって成立する」という考え方です。これは言い換えると「権力者は生まれつき権力を持っているわけではない」ということになります。
抵抗権とは「人民（民衆）は、支配する権力者の横暴に対して抵抗する権利がある」という考え方です。◇社会契約説と人民主権を提唱した哲学者ルソー人民主権とは「政治の主権（＝政治を決定する権利）は人民にある」という考え方で、現代の国民主権のもとになりました。◇三権分立を提唱した哲学者モンテスキュー三権分立とは「権力を３つに分け、１つに集中することを避ける」という概念です。
現在の日本の政治における、三権分立の仕組みでは
政治を行う行政権は内閣、法律を作る立法権は国会、裁判を行う司法権は裁判所
というように、権力を３つに分けてバランスをとっています。イギリスでは国王が王権神授説をとって中央集権をめざしましたが、議会がこれに反対し内戦が勃発（ぼっぱつ）しました。そして、クロムウェルが指導する共和制の革命（ピューリタン革命）がおこりました。しかし、共和制は長くは続かず、1688、89年の名誉革命によって、国王を立て権利章典を制定しました。これにより、立憲君主制と議会政治が成立しました。国民生活は充実し、すぐれた海軍も持っていたイギリスは、海外の植民地を拡大し、18世紀後半にはヨーロッパ最強国となりました。北アメリカのイギリス植民地では、本国から移住する人が増えていきました。18世紀後半、イギリス本国が新しい課税を取り入れ、それを反対する運動を弾圧したため、1776年にフランスの支援を受けて、植民地で独立運動がおこりました。独立戦争に勝って「アメリカ」となった新国は、人民主権、連邦制、三権分立を柱とした合衆国憲法を制定しました。【アメリカ独立の経緯】1787年にアメリカ合衆国憲法が制定された。1776年7月4日に独立宣言が承認され、イギリスとのつながりを断ち切った。1776年7月8日に独立宣言が初めて公に読み上げられた。1781年10月にアメリカ軍とフランス軍がヨークタウンでイギリス軍を降伏させ、事実上独立戦争が終結した。1783年9月にパリ条約が結ばれ、正式にアメリカの独立が認められた。【アメリカ独立の意義】君主を持たない新しい国の登場は西ヨーロッパに大きな変化をもたらした。独立の理念「自由と平等」はフランス革命に大きな影響を与えた。独立宣言は、やがて世界中の民主主義や人権思想の形成に大きな影響を与えることになった。18世紀後半、イギリスは大西洋の三角貿易により強力な経済力を持つようになり、世界経済の中心となりました。科学技術の発達と産業の仕組みの変革により、製鉄、機械、造船、軍事などの産業が急成長し、19世紀にイギリスは「世界の工場」と呼ばれるようになりました。これを産業革命と言います。産業革命は、生産活動の中で資本を持つ者が経営者となり、賃金を払って労働者を雇う仕組みで、これを資本主義と言います。資本主義社会では様々な問題もありましたが、資本者と労働者の貧富の差が激しく、労働災害が続きました。そこで労働者たちは、自らの職業と生活を守るために労働組合を結成しました。資本主義が広がる中で、それを批判する社会主義の思想も現れ、マルクスなどが著書で紹介したことから、労働者や知識人の間に広まりました。【産業革命の主な特徴】蒸気機関の開発や鉄道の開通など、技術が進歩した工場での大量生産が可能になり、経営者と労働者という分業体制が生まれた資本主義というしくみが生まれ、貧富の差が拡大した1人あたりのGDP（国内総生産）が増加し、経済成長が資本主義経済の中で始まった【産業革命の時期】1733年から1840年付近までの第一次産業革命と、それ以降の第二次産業革命に大別される第2次産業革命では、内燃機関や電力で大量生産が可能となった【産業革命の影響】資本主義と社会主義という2つの考え方が生まれ、後に世界を二分することになった都市での大気汚染の発生、貧困層の増大など、新たな社会問題も生み出した【キーワード】三権分立権力を立法・行政・司法の3つに分けてお互いを独立させる考え。啓蒙思想現実的な理性を重視し、迷信や偏見など非合理的な考えを排除する思想。ピューリタン革命イギリスで、国王による政治体制を否定し、多数の人々によって政治を行なう共和制に転換した。清教徒革命とも呼ばれる。三角貿易大西洋をはさんだ貿易のしくみで、新大陸の資源を得るためにアフリカに雑貨や武器などを送り、アフリカから奴隷を連れてきて新大陸で働かせた。産業革命織機・紡織機野生鉄技術が改良され、ワットが蒸気機関を発明して新たに動力源を開発した。このように、工業分野を中心に様々な改良や開発が行なわれた革命。資本主義資本家が利潤を得るために、工場や機械などをそろえて労働者を雇って生産活動を行なうしくみ。南北戦争工業が発展して資本家が多く、奴隷制に反対する北部と、大農場が多く農業を主体として奴隷制に賛成する南部が対立して、戦争をくり広げた。

【キーパーソン】ロック社会契約説と抵抗権を唱えたイギリスの哲学者。ルソー人民主権をうったえた思想家。モンテスキュー三権分立を唱えた思想家。栄進塾(東出雲校・斐川校・三刀屋校)では、理科・社会の映像授業(通塾型)を導入しております。専用テキストに完全対応したオンデマンドシステムを使って、「タブレットによる動画視聴＋問題演習」のかたちで授業を進めていきます。動画での学習というと講義を延々と視聴するイメージを持つかもしれませんが、この映像授業は解説・演習・定着の3ステップ学習で成り立っており、動画は主にポイント解説や答えの丸付けのサポートとして使用します。このシステムでは、現役塾講師による単元や問題の解説がわかりやすくコンパクトにまとめられており、効率よくメリハリのある学習が可能です。自分が得意な部分は動画をスキップしても構いませんし、逆に苦手な部分はじっくりと理解できるまで何度も視聴することが可能です。栄進塾(東出雲校・斐川校・三刀屋校)の通常授業で「理科・社会の映像授業」を受講することが可能です。
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<link>https://eishin-juku.net/column/detail/20230922191714/</link>
<pubDate>Tue, 01 Apr 2025 19:17:00 +0900</pubDate>
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<title>定期テストや高校入試にも役立つ中学歴史のまとめ『宗教改革と大航海時代』</title>
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中学生にとって、社会の歴史は重要教科の一つです。歴史は覚えることも多いので、各時代別に時代の流れや特徴を押さえることが必要です。この記事では数回にわたって、各時代別の概要やキーワード・キーパーソンなどを紹介し、それぞれの時代がどんな特徴を持つのかを把握してもらいたいと思います。第10回目は『宗教改革と大航海時代』の内容となります。どうぞご覧ください!目次15世紀の中頃、ヨーロッパで「大航海時代」（だいこうかいじだい）が始まりました。ポルトガルやスペインが中心となり、アフリカ、アジア、アメリカ大陸への大規模な航海がたびたび行われるようになり、遠く離れた国と国の文化交流が急速に活発化したのです。また、15世紀末にはキリスト教の布教や資源・物産の入手のため、大西洋やインド洋を航海するヨーロッパの商人や冒険家が多くいました。バスコ・ダ・ガマは、アフリカ大陸の西側に沿って喜望峰（きぼうほう）を経由してインドをめざしました。コロンブスは大西洋を渡って西回りでインドをめざし、1492年に、まだヨーロッパ人が知らない新大陸を見つけました。これがアメリカ大陸で、16世紀前半にはスペイン人がアメリカ大陸に侵攻し、ヨーロッパの植民地となりました。新大陸の開拓を進めるヨーロッパ人は、原住民だけでは労働力が不足しているため、アフリカから奴隷（どれい）を連れてきました。さらに、マゼランがスペインの援助を受けて世界一周を成し遂げ、スペインは世界に領土を広げていきました。16世紀末にはスペインからオランダが独立し、ヨーロッパの貿易や金融の中心地となる一方で、東インド会社を設立し、アジアにも進出しました。そして文化交流だけではなく、ヨーロッパ人によるアメリカやインドの植民地化も進みます。そんな大航海時代が始まって40年以上が経過した1543年（天文12年）、九州の種子島（たねがしま）にポルトガル人を乗せた中国船が到着しました。これがヨーロッパ人と日本人が初めて出会った瞬間とされています。この頃の日本は、国内で大名が戦をくり返す戦国時代の真っ最中でした。ポルトガル人は、銀などが豊富に採取できる日本との貿易が大きな利益になると考え、以降インド・中国・日本の中継貿易（なかつぎぼうえき）を独占的に取り仕切ることになります。インドは銀や油を中国に、中国は生糸や金をインドに。そして中国は生糸や絹を日本に、日本は銀や銅を中国にもたらしました。なお、ポルトガル人が初めてやってきた約50年後、スペイン人が長崎の平戸（ひらど）に到着し、以降はスペイン人による中南米・フィリピン・日本の中継貿易も始まっています。当時の日本人はポルトガル人やスペイン人を南蛮人（なんばんじん）と呼んだため、彼らとの貿易は「南蛮貿易」と言われるようになりました。広大な領土を誇った古代ローマ帝国がほろびると、神聖ローマ帝国やビザンツ帝国（東ローマ帝国）などに分割され、ヨーロッパ全体をまとめる国がなくなりました。人々は精神的な支えをキリスト教に求め、西ヨーロッパではキリスト教の力がより強大となりました。また、アラビア半島や西アジアではイスラム教が広まりました。イスラム教の勢力によって聖地エルサレムがうばわれたことで、キリスト教は大きな危機感を持ちました。そこで、ローマ教皇がヨーロッパの王や貴族に呼びかけて十字軍を結成し、エルサレムをめざしました。十字軍は信仰心だけの集団ではなく、領土や貿易を求める人も軍に属していました。そのため、十字軍によりイスラム文化がヨーロッパに紹介され、古代の文明が再びヨーロッパに伝えられました。これをルネサンス（文芸復興）と呼びます。ルネサンスの時代は美術や化学が発達しました。ルネサンスの絵画は、リアリズムと精密な描写で特筆されました。芸術家は人間の形や動き、光と影を鮮やかに表現し、キリスト教の聖書物語や神話、肖像画などを題材に描きました。中でもレオナルド・ダ・ヴィンチの「モナ・リザ」は、微細な筆致で描かれた微笑みが謎めいており、絶え間ない興味を呼び起こします。ルネサンス期における火薬・羅針盤・活版印刷術が発明され、15、16世紀以降のヨーロッパの社会生活に大きい影響を及ぼしました。これらは人々が世界へ出るきっかけをつくり、後の大航海時代に結びついてきます。16世紀初頭、ローマ教皇が大聖堂を改築するために免罪符を発行すると、人々から批判の声がおき、宗教家のルターやカルバンが宗教改革を始めました。ローマ教皇がカトリック教会だったことからプロテスタントと呼ばれ、カトリック教会内部もイエズス会によって立て直しが行なわれました。16世紀、キリスト教最大の教派であるローマ・カトリック教会は、スペイン・ポルトガル両国に海外への布教活動を許可します。当時のヨーロッパ人から見れば、キリスト教を信奉していない地域は野蛮人の国と見なし、布教だけでなく貿易、さらには征服して植民地経営を行うことまで許可されていました。そしてスペイン船は大西洋を渡ってアメリカ大陸へ、ポルトガル船はアフリカ大陸を回って南からアジアへと進出。このポルトガル船が1543年（天文12年）に「種子島」（たねがしま：鹿児島県西之表市）に到着したことで、日本とポルトガルとの間で「南蛮貿易」（なんばんぼうえき）が始まります。これによってイエズス会へ日本の情報がもたらされ、1549年（天文18年）にイエズス会創立者のひとりで、有名なフランシスコ・ザビエルが日本を訪れました。【キーワード】新大陸アメリカ大陸やオーストラリア大陸など、航海に出て発見された新しい大陸。東インド会社香辛料や絹織物などアジアとの貿易を活性化させるために、オランダが設立した貿易会社。十字軍イスラム教から聖地エルサレムをうばい返そうと、キリスト教信者で編成された軍隊。ルネサンスイスラム文化の影響で、古代ギリシャや古代ローマの文明を再評価した学問や芸術全般。宗教改革物欲にとらわれたキリスト教指導者を批判して、聖書の教えに立ち返ろうとして行なわれた改革。【キーパーソン】
バスコ・ダ・ガマポルトガルから船でアフリカの南端を経由してインドに渡り、インド航路を発見した。コロンブスイタリアの冒険家で、ヨーロッパ人として初めてアメリカ大陸に上陸した。マゼラン1522年に史上初めて世界一周の航海を成し遂げたポルトガルの冒険家。栄進塾(東出雲校・斐川校・三刀屋校)では、理科・社会の映像授業(通塾型)を導入しております。専用テキストに完全対応したオンデマンドシステムを使って、「タブレットによる動画視聴＋問題演習」のかたちで授業を進めていきます。動画での学習というと講義を延々と視聴するイメージを持つかもしれませんが、この映像授業は解説・演習・定着の3ステップ学習で成り立っており、動画は主にポイント解説や答えの丸付けのサポートとして使用します。このシステムでは、現役塾講師による単元や問題の解説がわかりやすくコンパクトにまとめられており、効率よくメリハリのある学習が可能です。自分が得意な部分は動画をスキップしても構いませんし、逆に苦手な部分はじっくりと理解できるまで何度も視聴することが可能です。栄進塾(東出雲校・斐川校・三刀屋校)の通常授業で「理科・社会の映像授業」を受講することが可能です。
いつからでもスタート可能ですので、この機会にぜひご検討ください!
※申し込みは当ホームページの入塾・体験申し込みボタン、または各教室のLINEからでも申し込みが可能です。栄進塾の映像授業で社会を得意科目にしましょう!栄進塾の映像授業について教室一覧(各教室LINEリンクあり)
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<link>https://eishin-juku.net/column/detail/20231006183040/</link>
<pubDate>Sun, 23 Feb 2025 18:30:00 +0900</pubDate>
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<title>定期テストや高校入試にも役立つ中学歴史のまとめ『第一次世界大戦と大正時代』</title>
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中学生にとって、社会の歴史は重要教科の一つです。歴史は覚えることも多いので、各時代別に時代の流れや特徴を押さえることが必要です。この記事では数回にわたって、各時代別の概要やキーワード・キーパーソンなどを紹介し、それぞれの時代がどんな特徴を持つのかを把握してもらいたいと思います。第10回目は『第一次世界大戦と大正時代』の内容となります。どうぞご覧ください!目次ヨーロッパを舞台にした世界戦争19世紀末から20世紀初頭はドイツ、イギリス、フランスが勢力の中心となり、アメリカとロシアが勢いよく成長していました。ドイツはイタリア、オーストリアと三国同盟を結び、イギリスとフランス、ロシアは三国協商を結びました。列強国は植民地を広げようと、しのぎをけずっていました。オスマン帝国（トルコ）の勢力が衰えると、ロシアが南下し始めますが、オーストリアがこの動きを抑えようとしました。1914年（大正3年）6月のオーストリア＝ハンガリー皇太子夫妻がセルビア青年に暗殺された「サラエボ事件」を引き金に、オーストリア＝ハンガリー帝国、ドイツなどの同盟国とイギリス、フランス、ロシア帝国、アメリカなどの連合国との間で、1914～1918年（大正3～7年）の4年余りにわたって行われた戦争を第一次世界大戦と呼びます。史上初の世界戦争で、日本は日英同盟などを理由に、連合国側で参戦しました。国際連盟とロシア革命戦況は初め、ドイツを中心とする同盟国側が優勢でした。また、1917年（大正6年）には連合国側のロシア帝国が「ロシア革命」（ロシア帝国内における政治的クーデター）によって戦争から離脱。しかし、その後、イギリスの海上封鎖に苦しんだドイツが「無制限潜水艦作戦」（敵国と思われる艦船、船舶に対し無警告で攻撃する作戦）を始めたのをきっかけに、それまで中立を保っていたアメリカ国内で反ドイツ世論が高まり、同年、アメリカは連合国側へ参戦。これにより、戦局は連合国側に有利な展開となりました。そして、翌年の1918年（大正7年）に、ドイツが降伏して4年に及んだ戦争はようやく終結したのです。1919年（大正8年）に、フランスの「ヴェルサイユ宮殿」において、第一次世界大戦の講和条約「ヴェルサイユ条約」が調印されます。敗戦国となったドイツは、すべての植民地と国境地帯の領土を失い、さらに多額の賠償金支払いなどの条件を押し付けられました。連合国側の一員として参戦した日本は、中国山東省のドイツ権益を引き継いだ他、赤道以北のドイツ領南洋諸島（現在のミクロネシア連邦、パラオ、マーシャル諸島など）の委任統治権も得ています。ロシアでは資本主義から社会主義への動きも活発なり、第一次世界大戦が長引くと、皇帝に対する民衆の不満が爆発しました。大戦中に労働者がストライキをおこし、代表会議（ソビエト）が各地に設置されました。皇帝が退位して、レーニンが指導者となって最初の政府ができました。これをロシア革命と言い、1922年にはソビエト社会主義共和国連邦が成立しました。ロシア革命を勝利した政党は、共産主義をめざし、共産党と政党名を変えました。第一次護憲運動と政党内閣の誕生1912年（大正元年）、桂太郎による3度目の内閣は議会を無視することがあり、世論は憲法に基づく政治を守ろうとする運動がおこりました（第一次護憲運動）。地方でも民衆運動がくり広げられたことで、桂内閣は退陣しました。その後、第一次世界大戦やロシア革命など世界情勢を受けて、自由主義への風潮が高まり、様々な社会活動も活発になりました。その中でデモクラシーの思想が広まり、普通選挙法の成立に向けて動き出しました。第一次世界大戦によって、日本経済は好景気になり、工業国としての基礎を固めました。1918年（大正5年）には原敬内閣が成立したことで、衆議院第一党の総裁が首相になり、同じ党から大臣を出したことで、政党内閣が誕生しました。原内閣は選挙法を改正して、有権者数を増やしました。女性運動と普通選挙法の成立デモクラシーが高まり、世界の動きが変化する中で、労働運動や女性運動、農民運動、民衆運動など社会運動が広がってきました。労働争議では、友愛会が労働者の地位向上をめざして結成され、労働組合の全国組織として発展しました。また、ロシア革命で共産主義に関心が集まり、日本共産党が結成されました。女性運動では、平塚らいてうが青鞜社（せいとうしゃ）を結成して女性差別からの解放を訴え、新しい女性の姿や活動を唱えました。一方、部落解放運動も活発になり、全国水平社が結成されて全国にその運動が広がっていきました。1925年（大正14年）には、普通選挙法が成立し、それまでの納税額での制限を廃止し、満25歳以上の男子に選挙が与えられました。【キーワード】ベルサイユ条約敗戦国のドイツと連合国軍が結んだ条約で、これによってドイツは植民地を失い、巨額の賠償金を支払い、軍事の縮小を課せられた。国際連盟アメリカ大統領ウィルソンの提案で、世界平和と国際協調を目的に結成された。代表会議（ソビエト）ソビエトは、ロシア語で「会議」を意味する。ロシア革命資本主義に不満を持って社会主義思想を求めた労働者のストライキや兵士の反乱が続いて、共和制の臨時政府が設立されたが、政治は安定しなかったため、世界最初の社会主義国家が成立した。共産主義工場や農地など生産手段を国有化し、すべての経済活動を国家で統制して国民に平等な配分を行なう考え方。第一次護憲運動藩閥政治を行なう政府に対し、憲法に基づいた政治を求める運動が新聞や知識人の間で広がった。デモクラシー民主主義のことで、人民が主権を持ち、人民が行使する考え方。政党内閣国民が選んだ政党による政治。普通選挙法満25歳以上の男子に選挙権を与える法律で、戦後に満20歳以上の男女へと改正された。【キーパーソン】
レーニンソ連の指導者で、社会主義国家成立の中心人物。平塚らいてう女性解放運動や婦人運動の指導者で、出版社「青鞜社」を設立し、女性のための文芸誌「青鞜」を発刊した。また女性の政治活動や社会活動の自由などを求める新婦人協会を設立した。栄進塾(東出雲校・斐川校・三刀屋校)では、理科・社会の映像授業(通塾型)を導入しております。専用テキストに完全対応したオンデマンドシステムを使って、「タブレットによる動画視聴＋問題演習」のかたちで授業を進めていきます。動画での学習というと講義を延々と視聴するイメージを持つかもしれませんが、この映像授業は解説・演習・定着の3ステップ学習で成り立っており、動画は主にポイント解説や答えの丸付けのサポートとして使用します。このシステムでは、現役塾講師による単元や問題の解説がわかりやすくコンパクトにまとめられており、効率よくメリハリのある学習が可能です。自分が得意な部分は動画をスキップしても構いませんし、逆に苦手な部分はじっくりと理解できるまで何度も視聴することが可能です。栄進塾(東出雲校・斐川校・三刀屋校)の通常授業で「理科・社会の映像授業」を受講することが可能です。
いつからでもスタート可能ですので、この機会にぜひご検討ください!
※申し込みは当ホームページの入塾・体験申し込みボタン、または各教室のLINEからでも申し込みが可能です。栄進塾の映像授業で社会を得意科目にしましょう!栄進塾の映像授業について教室一覧(各教室LINEリンクあり)
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<link>https://eishin-juku.net/column/detail/20240724212343/</link>
<pubDate>Thu, 26 Dec 2024 21:23:00 +0900</pubDate>
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<title>定期テストや高校入試にも役立つ中学歴史のまとめ『日清戦争と日露戦争』</title>
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中学生にとって、社会の歴史は重要教科の一つです。歴史は覚えることも多いので、各時代別に時代の流れや特徴を押さえることが必要です。この記事では数回にわたって、各時代別の概要やキーワード・キーパーソンなどを紹介し、それぞれの時代がどんな特徴を持つのかを把握してもらいたいと思います。第8回目は明治時代②の内容となります。どうぞご覧ください!目次1894年7月に、ソウル近くの豊島沖で日本軍と清国が激突。これを「成歓の戦い（日清戦争の最初の主要な陸戦）」と言います。そして8月1日に日本が清国に対して宣戦布告をしたことにより、日清戦争が開戦しました。この戦争は、近代日本が行った初めての外国との戦争です。この戦いに日本は勝利し、1895年（明治28年）に下関条約が結ばれました。この条約で台湾を領有し、総督府を置いて植民地支配を進めました。また朝鮮は1897年に大韓帝国に国名を改称し、清から独立しました。下関条約の主な内容は以下の通りです。清国は朝鮮の独立を認めること清国は遼東半島（りょうとうはんとう）、台湾、澎湖諸島（ほうこしょとう）、を日本に譲り渡すこと清国は賠償金として2億両（約3億1000万円）を日本に支払うこと日本は下関条約によって様々な利益を得ましたが、このことについてヨーロッパの列強国は黙っていませんでした。特に遼東半島が日本のものになることはロシアにとって不都合なことでした。1895年4月、ロシアは仲の良かったドイツとフランスとともに遼東半島を返還するよう日本に圧力をかけました。日本はこの要求に従い、1895年5月、遼東半島放棄を閣議決定しました。この出来事を「三国干渉」といいます。日露戦争は日本とロシアの間で、1904年（明治37年）から翌年の1905年（明治38年）にかけて行われた戦争です。日本は日清戦争で手に入れた遼東半島をロシア・ドイツ・フランスからの返還要求によって手放しましたが、その後、ロシアは清国で起きた義和団事件（義和団が生活に苦しむ農民を集めて起こした外国の勢力を排除しようとした事件）を鎮圧するために満州に軍を派遣し、満州全土を占領します。これを受けて、朝鮮半島もロシアに支配されかねないと危惧した日本は、イギリスと日英同盟を結んで、朝鮮半島と満州の権益をめぐってロシアに対抗しました。これによって日露戦争が勃発します。
日本軍は戦いを有利に進め、アメリカとイギリスは日本をバックアップしました。ロシア国内では専制政治への反対運動がおこり、1905年（明治36年）の奉天会戦や日本海海戦で日本が勝利を収めたのを見て、アメリカが仲介してポーツマス条約が結ばれました。ロシアは清での日本の権利を認め、満州では日露協約を結んで、開発などで協力し合うことを決めました。ポーツマス条約の主な内容は以下の通りです日本が朝鮮半島の保護権を持つこと両国とも満州から撤退することロシアは長春以南の鉄道利権などを日本に譲渡することロシアは樺太（サハリン）を日本に割譲すること日本海、オホーツク海、ベーリング海のロシア領地沿岸における日本の漁業権を認めること戦争は終わりましたが、賠償金を得られなかったことや日本の得た権限が少なかったことで、日本国民は不満を抱きます。日露戦争で、日本は国際的な地位を確立し、列強国の一員になったという意識が生まれました。この戦争の中で、日本は韓国を植民地化しようと外交権を奪い、韓国統監府（かんこくそうとくふ）を置いて伊藤博文が統監（とうかん）に就任しました。さらに1910年（明治43年）には韓国を併合し、朝鮮総督府を設置して、植民地支配を強くしていきました。この支配は1945年（昭和20年）まで続きました。満州では、ポーツマス条約で得た利権を使って、南満州鉄道株式会社をつくって満州の経済的な利権を拡大しようとしました。栄進塾(東出雲校・斐川校・三刀屋校)では、理科・社会の映像授業(通塾型)を導入しております。専用テキストに完全対応したオンデマンドシステムを使って、「タブレットによる動画視聴＋問題演習」のかたちで授業を進めていきます。動画での学習というと講義を延々と視聴するイメージを持つかもしれませんが、この映像授業は解説・演習・定着の3ステップ学習で成り立っており、動画は主にポイント解説や答えの丸付けのサポートとして使用します。このシステムでは、現役塾講師による単元や問題の解説がわかりやすくコンパクトにまとめられており、効率よくメリハリのある学習が可能です。自分が得意な部分は動画をスキップしても構いませんし、逆に苦手な部分はじっくりと理解できるまで何度も視聴することが可能です。栄進塾(東出雲校・斐川校・三刀屋校)の通常授業で「理科・社会の映像授業」を受講することが可能です。
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<link>https://eishin-juku.net/column/detail/20230918174605/</link>
<pubDate>Wed, 27 Nov 2024 17:46:00 +0900</pubDate>
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<title>定期テストや高校入試にも役立つ中学歴史の時代別まとめ『明治時代②』</title>
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中学生にとって、社会の歴史は重要教科の一つです。歴史は覚えることも多いので、各時代別に時代の流れや特徴を押さえることが必要です。この記事では数回にわたって、各時代別の概要やキーワード・キーパーソンなどを紹介し、それぞれの時代がどんな特徴を持つのかを把握してもらいたいと思います。第8回目は明治時代②の内容となります。どうぞご覧ください!目次政府は、近代産業を育てるために、殖産興業（しょくさんこうぎょう）を進めました。交通や通信を整備して、物資の流通を活発にしました。群馬県に富岡製糸場など官営模範（かんえいもはん）工場をつくり、新しい技術を紹介して、日本の輸出を支える生糸の増産を行ないました。また、欧米で開かれている万国博覧会にも出品し、日本の技術を海外に紹介しました。このときのスローガンであった「富国強兵」（ふこくきょうへい：経済力を発展させて軍事力の増強を図る政策）のためには、殖産興業が必要であり、西洋の先進的な技術を積極的に導入し、経済発展を目指しました。また、このころ蝦夷地の開拓も始まりました。蝦夷地の名称を北海道に変えて、役所を置き、農地の開墾や道路・鉄道の整備などの事業を進めました。また、蝦夷地とあわせて琉球王国の支配も進められました。薩摩藩の支配下にありながら、清と密接な関係があった琉球王国を、軍事力で押さえつけて沖縄県を設置しました。殖産興業の代表的なものとして、富岡製糸場・「八幡製鉄所」（やはたせいてつじょ：福岡県北九州市）・「札幌農学校」（さっぽろのうがっこう：北海道札幌市）などがあり、現在へ繋がる産業がここに端を発していることが垣間見えます。「日清修好条規」（にっしんしゅうこうじょうき）とは、1871年（明治4年）に明治政府が近隣外交政策の一環として、清（しん：17～20世紀初頭の中国王朝）へ使節を派遣して結ばれた条約のことです。貿易を目的として日本・清ともに正式に開港、また領事裁判権においても相互承認も含め、日本が外国と結んだ最初の対等な条約とされています。この条約は、1894年（明治27年）に「日清戦争」（にっしんせんそう：日本と清の戦争）が勃発するまで効力が続きました。「日朝修好条規」（にっちょうしゅうこうじょうき）とは、1875年（明治8年）の「江華島事件」（こうかとうじけん）をきっかけに、日本が李氏朝鮮（りしちょうせん：14～19世紀の朝鮮王朝）に迫り、翌1876年（明治9年）に日朝間で結んだ修好条約です。1871年（明治4年）に、清（しん：17～20世紀初頭の中国王朝）との間で結ばれた対等な「日清修好条規」（にっしんしゅうこうじょうき）と異なり、日本に有利な不平等条約となっています。その内容は李氏朝鮮側の関税自主権（かんぜいじしゅけん：関税を自主的にかける権利）を認めず、かつ日本の領事裁判権（りょうじさいばんけん：日本人が罪を犯した場合、日本の法律で裁くこと）を認めさせるというものでした。一方、樺太（からふと＝サハリン）は、ロシアと日本の間で領土の所有が明確ではなかったため、1875年（明治8年）にロシアと樺太・千島交換条約を結び、樺太をロシア領とし、千島列島を日本領とすることで、国境を決めました。欧米とは、幕末に結んだ条約が日本にとって不利であるため、条約の改正を進め、法律の整備を行ないました。「自由民権運動」（じゆうみんけんうんどう）とは、1873年（明治6年）10月の「明治六年の政変」（征韓論[せいかんろん]を巡る対立により、当時の明治政府首脳・軍人・官僚ら約600名が辞職した事件）で明治政府を去った「板垣退助」（いたがきたいすけ）ら8人によって、ごく一部の官僚主導の政権を批判し、国会開設を求めた「民撰議院設立の建白書」（みんせんぎいんせつりつのけんぱくしょ）をきっかけとして、急速に全国へ広まっていった政治運動です。この頃、板垣退助（いたがきたいすけ）は、民撰議院設立の建白書を提出して、国会の開設を要求しました。さらに板垣は立志社を結成して、運動を進めました。明治政府の改革に反対する士族も多く、1877（明治10年）年には西郷隆盛が中心になって西南戦争をおこしますが、政府軍に鎮圧されました。こうした動きの中で、政府への批判は武力から言論へと変わり、国民が政治に参加する権利を求めた自由民権運動がさかんになりました。1878年（明治11年）には地方制度の改革が行なわれ、商工業者や地主なども自由民権運動に参加するようになりました。1880年には国会の開設を求める国会期成同盟が結成され、やがて憲法の制定への動きが高まりました。伊藤博文（いとうひろぶみ）は、国会を開設することを約束し、自由民権運動は政党を結成する方向へ進み出しました。1881年（明治14年）に公布された「国会開設の勅諭」（こっかいかいせつのちょくゆ）により、10年後の1890年（明治23年）に国会を開設することが約束されると、日本国内で政党が続々と誕生します。同年、板垣退助を総理（党首）とした民権派（みんけんは：国会の成立を求めた自由民権運動組織）の「自由党」（じゆうとう）が誕生。翌1882年（明治15年）には、政変により明治政府を追われた「大隈重信」（おおくましげのぶ）を党首とした、同じく民権派の「立憲改進党」（りっけんかいしんとう）が結成されます。政府は国会を開設する前に憲法を制定して、政治体制を固めようとしました。長州藩出身で、明治維新の功臣であり、内閣制度が導入される前から明治政府の中心で政治手腕を振るっていた「伊藤博文」は、歴代最年少の44歳で初代内閣総理大臣に就任しました。伊藤はヨーロッパで憲法について学び、憲法の草案（そうあん）をつくりました。1886年（明治19年）の学校教育に関する法令「学校令」の制定、「市制」や「町村制」を導入し地方統治制度を確立します。しかし、1887年（明治20年）には、「保安条例」を発布して自由民権論者を東京から追放しました。1889年（明治22年）には大日本帝国憲法が発布され、天皇を国の元首として統治することが定められました。天皇の権限には、帝国議会の招集（しょうしゅう）や軍隊の指揮、条約の締結（ていけつ）などがありました。議会は天皇が任命した議員からなる貴族院と、国民の選挙で選ばれた衆議院の二院制でした。衆議院の選挙権は持つのは限られた人だけで、当時総人口の1.1％でした。その後、国民が国の政治に参加するようになり、議会政治が始まって、立憲制国家へと歩み出しました。憲法の制定の後に民法や商法も公布され、1890年（明治23年）には教育勅語（きょういくちょくご）が出され、教育方針となりました。【キーワード】藩閥政治旧長州藩や旧薩摩藩の出身者などで行なわれた政治。民撰議院設立の建白書国民が政治に参加できるように、民選の議院の開設を求めた要望書。西南戦争旧薩摩藩の士族が、反政府をうったえ、西郷隆盛を擁（よう）しておこした武力の反乱。国会期成同盟自由民権運動に参加した全国の代表者が集まって、国会の開設を求めた。内閣制度明治新政府が最初に取り入れた太政官制度に代わって、内閣を組織して政治を司る制度教育勅語政府の教育方針を表した教育の柱となる勅語で、忠君愛国の道徳などが示された。【キーパーソン】
板垣退助政府を去って、高知県で立志社を結成して自由民権運動を推し進めた政治家。伊藤博文大日本帝国憲法の制定に努力し、初代内閣総理大臣に任命された。立憲政友会を結成し、政党政治の道を切り開いた。大隈重信政府の要人だったが政府を追われ、立憲改進党を結成した。1882年に早稲田大学の母体となる東京専門学校を創立した。栄進塾(東出雲校・斐川校・三刀屋校)では、理科・社会の映像授業(通塾型)を導入しております。専用テキストに完全対応したオンデマンドシステムを使って、「タブレットによる動画視聴＋問題演習」のかたちで授業を進めていきます。動画での学習というと講義を延々と視聴するイメージを持つかもしれませんが、この映像授業は解説・演習・定着の3ステップ学習で成り立っており、動画は主にポイント解説や答えの丸付けのサポートとして使用します。このシステムでは、現役塾講師による単元や問題の解説がわかりやすくコンパクトにまとめられており、効率よくメリハリのある学習が可能です。自分が得意な部分は動画をスキップしても構いませんし、逆に苦手な部分はじっくりと理解できるまで何度も視聴することが可能です。栄進塾(東出雲校・斐川校・三刀屋校)の通常授業で「理科・社会の映像授業」を受講することが可能です。
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<link>https://eishin-juku.net/column/detail/20240512125412/</link>
<pubDate>Thu, 17 Oct 2024 12:54:00 +0900</pubDate>
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<title>定期テストや高校入試にも役立つ中学歴史の時代別まとめ『明治時代①』 </title>
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中学生にとって、社会の歴史は重要教科の一つです。歴史は覚えることも多いので、各時代別に時代の流れや特徴を押さえることが必要です。この記事では数回にわたって、各時代別の概要やキーワード・キーパーソンなどを紹介し、それぞれの時代がどんな特徴を持つのかを把握してもらいたいと思います。第8回目は明治時代の内容となります。どうぞご覧ください!目次1868年（明治元年）江戸幕府にかわって新しい政府が誕生し、近代国家に生まれ変わるための多くの改革を行ない、その指針を五箇条のご誓文（せいもん）として発表しました。同年9月に明治元年に改元。江戸は東京に名前を変え、明治天皇も京都から東京に移り住みました。また、倒幕に貢献した薩摩藩や長州藩出身者で固められた明治政府は、幕藩体制を解体し、中央集権を確立。日本は、近代国家への道を歩み始めることとなったのです。これを明治維新と呼びます。新政府は、中央集権国家をめざし、版籍奉還（はんせきほうかん）によって、藩の土地と民衆を政府に返すようにしました。1871年（明治4年）には地方制度を見直して、廃藩置県を行ない、各県に県知事を任命して治めるようにしました。また天皇や皇族以外のすべての人を平等にするために身分制度を廃止し、民衆も名字を名乗り、住む場所や職業、結婚も自由にできるようになりました。一方で身分の象徴であるちょんまげや刀を持つことも禁止しました。明治時代になり、欧米列強との外交を本格的に始めたとき、明治政府は政治の動かし方から社会制度・経済・軍事力・国民の学力まで、あらゆる面で日本は欧米列強に対して後れを取ってることを痛感し、このままでは、欧米諸国と対等に外交できないばかりか、侵略され植民地化される恐れもあると考え、富国強兵を合言葉に経済を発展させ、軍隊を強くすることを目指しました。を図ろうとしました。この時に行なわれた学制、兵制、税制の改革は、現代の基礎となっています。同時に、教育の普及が日本の発展に必要と考え、1872年（明治5年）に学制を公布し、小学校から大学までの学校制度を定めました。これにより小学校が各地でつくられ、大学などの高等教育では海外の近代的な学問や技術を積極的に取り入れました。また兵制は、1873年（明治6年）に徴兵令を出し、満20歳の男子は兵役を義務づけました。税制では、1873年に地租改正を行い、国民に土地の所有を認めた上で、土地に対する税を徴収するようにしました。政府の近代化政策により欧米の文化がさかんに入って、民衆の生活も変化してきました。これを文明開化と呼びます。明治時代初期の文明開化の象徴として知られているのが、「ざんぎり頭をたたいてみれば文明開化の音がする」という、当時の流行歌の文句です。871年（明治4年）、明治政府は、髷（まげ）を落とし、帯刀（日本刀を常に所持すること）しないことを決定した「散髪脱刀令」（さんぱつだっとうれい）を公布。同時に洋服の着用が官吏・巡査から、次第に民間へ広まっていったことと相まって、ざんぎり頭は明治時代における新風俗の象徴として捉えられたのでした。
また、東京及び開港場には、レンガ造の「洋風建築」が建てられ、「ガス灯」が並びました。さらに、「人力車」、「鉄道馬車」も登場。鉄道馬車は、軌道上（線路）を走る馬車を用いた輸送機関で、1836年（天保7年）にアメリカのニューヨークで市内交通機関として誕生しました。
また、西洋化の波は食生活にも押し寄せます。それまで魚食を主体としていた日本へ牛肉・豚肉、パンを食べる習慣が流入し、一般家庭に肉食とパン食が普及し始めました。
教育面では、1871年（明治4年）に「文部省」が新設され、翌1872年（明治5年）にはフランスの学校制度に倣った統一的な「学制」が公布されました。教育制度の整備は、主として明治政府の力で進められましたが、1868年（明治元年）には教育者の「福沢諭吉」（ふくざわゆきち）が「慶應義塾」（けいおうぎじゅく：現在の慶應義塾大学の前身）を、1875年（明治8年）には「新島襄」（にいじまじょう）が「同志社」（どうししゃ：現在の同志社大学の前身）を創設するなど私立学校も次々と創設されていき、それぞれ特色ある学風を発揮していったのです。印刷の普及で新聞が発行されると、福沢諭吉の「学問のすすめ」や中江兆民のルソーの思想など、新しい思想も紹介されました。【キーワード】五箇条のご誓文明治政府の基本方針を示した5つの条文。廃藩置県江戸時代の藩を廃止して新たに県を置き、地方自治の新しい方向をめざした。初等教育に力を入れ、6歳以上の男女すべてに小学校で教育を受けさせるようにした。地租改正土地の所有者と価格を定めて地券を発行し、土地の価値をそれまでの収穫高から地価に変更した。地価の3％を税金として所有者がおさめるようになった。文明開化服装や食べ物など民衆の生活が欧米化してきた。栄進塾(東出雲校・斐川校・三刀屋校)では、理科・社会の映像授業(通塾型)を導入しております。専用テキストに完全対応したオンデマンドシステムを使って、「タブレットによる動画視聴＋問題演習」のかたちで授業を進めていきます。動画での学習というと講義を延々と視聴するイメージを持つかもしれませんが、この映像授業は解説・演習・定着の3ステップ学習で成り立っており、動画は主にポイント解説や答えの丸付けのサポートとして使用します。このシステムでは、現役塾講師による単元や問題の解説がわかりやすくコンパクトにまとめられており、効率よくメリハリのある学習が可能です。自分が得意な部分は動画をスキップしても構いませんし、逆に苦手な部分はじっくりと理解できるまで何度も視聴することが可能です。栄進塾(東出雲校・斐川校・三刀屋校)の通常授業で「理科・社会の映像授業」を受講することが可能です。
いつからでもスタート可能ですので、この機会にぜひご検討ください!
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<link>https://eishin-juku.net/column/detail/20240512130225/</link>
<pubDate>Mon, 16 Sep 2024 19:23:00 +0900</pubDate>
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<title>定期テストや高校入試にも役立つ中学歴史の時代別まとめ『江戸時代幕末』</title>
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中学生にとって、社会の歴史は重要教科の一つです。歴史は覚えることも多いので、各時代別に時代の流れや特徴を押さえることが必要です。この記事では数回にわたって、各時代別の概要やキーワード・キーパーソンなどを紹介し、それぞれの時代がどんな特徴を持つのかを把握してもらいたいと思います。第7回目は江戸時代幕末の内容となります。どうぞご覧ください!目次19世紀に、各国の外国船が日本にやってくるようになり、1853年、ペリー率いるアメリカの軍艦が浦賀に上陸しました。人々は、真っ黒く巨大な戦艦、噴き上げる蒸気、威嚇のための砲撃を目の当たりにして、江戸が侵略される危機感を覚えます。ペリーは大統領の国書を幕府に差し出し、開国を迫りました。幕府は朝廷や大名と協議（きょうぎ）し、翌年の1854年に日米和親条約を結び、下田と函館を開港しました。しかし、日本に関税自主権がないなど不平等な内容であったこの条約は、長らく日本を苦しめることになります。アメリカはさらに貿易を行なうために、日米修好通商条約を結ぶことを求めて、2港の他に横浜、長崎、新潟、神戸の5港を開港させ、幕府に自由貿易を認めさせました。また幕府は同じ条約をオランダ、ロシア、イギリス、フランスとも結び、これを「安政の五カ国条約」と言います。しかしこの条約は日本に不利な内容を含んだ不平等条約でした。自由貿易によって経済は大きく変わり、金銀の交換比率がちがっていたことで、大量の金貨や銀貨が流出しました。こうしてペリー来航は、200年以上に及ぶ鎖国を解き、江戸幕府が崩壊する呼び水となったのです。幕末に外国船の来航が多くなり鎖国の維持が危うくなったとき、幕府が朝廷の許可を得ないまま条約を結んだことは、武士や民衆に大きな影響を与え幕府に反対する尊王攘夷運動（そんのうじょういうんどう）が盛んになりました。そんな中で大老の井伊直弼（いいなおすけ）は、幕府に反対した大名や武士たちを処罰しました（安政の大獄〈あんせいのたいごく〉）。しかしこれはかえって運動を激化させる結果となってしまい、その後直弼も1860年に江戸城の門外で暗殺されました（桜田門外の変〈さくらだもんがいのへん〉）。幕府は公武合体策として朝廷との融和（ゆうわ）をはかりました。尊王攘夷運動を進める長州藩は、朝廷を動かして幕府に攘夷を約束させましたが、天皇や薩摩藩の協力を得て、幕府は京都から長州藩士を追放しました。長州藩の実権をにぎった桂小五郎（かつらこごろう＝木戸孝允〈きどたかよし〉）と、薩摩藩の実権をにぎっていた西郷隆盛（さいごうたかもり）、大久保利通（おおくぼとしみち）は、坂本龍馬（さかもとりょうま）の仲立ちで幕府をたおす考えが同じであることを確認し、薩長同盟を結びました。こうして幕末日本の薩摩と長州という二大地方勢力を中心として諸藩を糾合しつつ明治維新へと向かっていくこととなりました。1867年（慶応3年）1月、15代将軍に就任した「徳川慶喜」（とくがわよしのぶ）は、フランスの援助を受けて幕政の立て直しを図り、政権を朝廷に返す「大政奉還（たいせいほうかん）」を行いました。大政奉還の目的は、表向きは天皇を中心とした政治に戻すことでしたが、幕府側には徳川家の存続という目的も有していました。大政奉還が実現される直前、「岩倉具視」（いわくらともみ）ら倒幕派は「明治天皇」より倒幕の密勅を受け取っており、それを知った土佐藩が徳川慶喜へ政権の返上を勧めたとされます。こうして岩倉らは大政奉還の奇策に対抗するべく朝廷を動かして王政復古の大号令を発しました。
旧幕府軍は、新政府軍の圧力的な態度に対して武力で抵抗することを決意し、1868年（慶応4年・明治元年）に「戊辰戦争」（ぼしんせんそう）が勃発します。旧幕府軍と新政府軍の戦いは1年以上に及びましたが、「鳥羽・伏見の戦い」より戦争がはじまってから約4ヵ月後には、新政府軍は、江戸城の明けわたしを行ない、旧幕府軍を北海道の函館まで追いつめて降伏させました。これにより260年あまり続いた江戸幕府が滅亡しました。【キーパーソン】ペリーアメリカの提督で、日本に開国を迫った。井伊直弼大老で、尊王攘夷運動で幕府に反対する大名や武士を処罰したが、桜田門外の変で暗殺された。桂小五郎（木戸孝允）長州藩の実権をにぎり、幕府をたおして明治維新を実現させた中の一人で、明治新政府でも重要な役職に就いた。西郷隆盛薩摩藩の指導者として、薩英戦争を指揮したり、薩長同盟を結ぶなど幕末から明治にかけて重要な役割を担った。大久保利通西郷隆盛とともに、薩摩藩の指導者として幕末から明治にかけて活躍した。明治維新後は欧米に渡り、殖産興業に努めた。坂本龍馬土佐藩の武士で、薩長同盟の仲立ちをするなど、倒幕への動きを支えた。徳川慶喜徳川家最後の第15代将軍で、大政奉還を行ない、政権を朝廷に返還した。岩倉具視公家の出身で、明治新政府では右大臣を務め、岩倉使節団として欧米に渡った。【キーワード】尊王攘夷運動幕府を倒して外国の勢力を追い払うことで、天皇中心の政治への転換を呼びかけた運動。安政の大獄尊王攘夷運動で、吉田松陰など幕府に反対した大名や武士を大老の井伊直弼が処罰した。大政奉還第15代将軍徳川慶喜が政権を朝廷に返還したこと。これにより江戸幕府がほろびた。王政復古の大号令天皇中心の政治にもどすことを宣言し、新政府の成立を発表した。同時に徳川慶喜の政治的影響力をおさえた。戊辰戦争新政府に反対する旧幕府軍は、鳥羽・伏見の戦いに敗れた後、東北・北海道まで逃げ、函館の五稜郭（ごりょうかく）に立てこもるが、新政府軍に降伏させられた。栄進塾(東出雲校・斐川校・三刀屋校)では、理科・社会の映像授業(通塾型)を導入しております。専用テキストに完全対応したオンデマンドシステムを使って、「タブレットによる動画視聴＋問題演習」のかたちで授業を進めていきます。動画での学習というと講義を延々と視聴するイメージを持つかもしれませんが、この映像授業は解説・演習・定着の3ステップ学習で成り立っており、動画は主にポイント解説や答えの丸付けのサポートとして使用します。このシステムでは、現役塾講師による単元や問題の解説がわかりやすくコンパクトにまとめられており、効率よくメリハリのある学習が可能です。自分が得意な部分は動画をスキップしても構いませんし、逆に苦手な部分はじっくりと理解できるまで何度も視聴することが可能です。栄進塾(東出雲校・斐川校・三刀屋校)の通常授業で「理科・社会の映像授業」を受講することが可能です。
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<link>https://eishin-juku.net/column/detail/20230930175742/</link>
<pubDate>Wed, 11 Sep 2024 18:35:00 +0900</pubDate>
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<title>出雲市の直江駅周辺で学力向上を目指すなら個別指導栄進塾斐川校がおすすめ!</title>
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出雲市の直江駅周辺で個別指導塾を探している保護者の皆様へ、個別指導栄進塾斐川校をご紹介します。
お子様の学力向上を目指すためには、自分のペースや学習スタイルに合った塾選びが重要です。個別指導のよさは、一人ひとりに合わせた学習カリキュラムの提供と、講師との密なコミュニケーションによるサポートにあります。この記事をお読みいただき、ぜひ受講をご検討ください。目次個別指導塾はお子様の学力向上を目指すために、個々のニーズに応じたカリキュラムを提供します。出雲市斐川町直江駅周辺の栄進塾斐川校では、まず最初に体験授業を通じて生徒の学力や苦手な部分を把握し、詳細に分析します。そしてこの分析結果をもとにして、生徒1人ひとりに最適な学習プランを作成します。例えば、苦手科目の克服には基礎からしっかりと学び直すことを重視し、得意科目の強化には授業で応用問題を多数を取り入れるなど、柔軟な対応が可能です。また、定期的に学習進捗状況の確認や目標設定の見直しを行い、常に生徒の学習意欲を高める工夫を行います。このような個別指導塾ならではのきめ細かなサポートにより、お子様の学力向上に大きな効果を発揮します。板書を活用した、きめ細かい指導が栄進塾の特徴です。授業を行う個別ブースには全て大きめのホワイトボードを設置しています。単元のポイント確認や問題の解説などあらゆる場面で、ていねいに板書しながら、指導を行います。板書を活用することで、授業によい意味での緊張感や生徒と講師の一体感が生まれ、説明も全体的にわかりやすいという評価をいただいております。栄進塾斐川校では熱意あふれるベテラン講師が多く、生徒と講師とのコミュニケーションがとても活発です。授業では「やる気を引き出す」「楽しく学ぶ」「真剣に取り組む」を念頭においた対話を心がけています。日々の指導を通じて、お子様との信頼関係を築き、学力や学習意欲の向上を目指します。栄進塾斐川校のビジネスプロフィールには皆さまからの数々の口コミをいただいております。おかげさまで高評価も多く、『ていねいでわかりやすく教えてもらえた』『木の内装の落ちついた雰囲気で集中して勉強できる』『個別指導で先生も話しやすい』といった声をいただいております。皆さまの評価に応えれるよう、今後もしっかり指導を行っていきたいです。栄進塾斐川校では理科・社会の【通塾型】映像授業を導入しております。専用テキストに完全対応したオンデマンドシステムを使って、「演習＋タブレットによる動画視聴」のかたちで授業を進めていきます。動画での学習というと講義を延々と視聴するイメージを持つかもしれませんが、この映像授業は解説・演習・定着の3ステップ学習で成り立っており、動画は主にポイント解説や答えの丸付けのサポートとして使用します。現役塾講師による単元や問題の解説がわかりやすくコンパクトにまとめられており、効率よくメリハリのある学習が可能です。自分が得意な部分は動画をスキップしても構いませんし、逆に苦手な部分はじっくりと理解できるまで何度も視聴することが可能です。この機会にぜひ受講のご検討をお願いいたします。栄進塾斐川校は開講から13年が経過し、これまでたくさんの生徒さんに通っていただいております。地域に根ざした教育方針に基づき、各中学校の定期テストや島根県の私立・公立入試の傾向に応じた指導を日々行っております。
教室はJR直江駅から徒歩15～20分程度の閑静な住宅街の中にあります。木造りの教室が特徴で床や天井、勉強するデスクも木製となっており、生徒がリラックスして学習に取り組める環境をご用意しております。公式LINEからお気軽にお問い合わせください!出雲市斐川町直江駅周辺にある個別指導栄進塾斐川校では受講説明会・教室見学・無料体験授業を随時受け付けております。体験授業は小学生が国語(英語)か数学、中学生は英語・数学が2対1授業、理科・社会が映像授業、高校生は英語か数学になります。中学生対象の映像授業もおかげさまで好評をいただいておりますので、この機会にぜひ一度体験していただきたいと思います。受講や体験のお申し込みはお問い合わせフォームまたは各教室のLINEからお気軽にお問い合わせください。(教室一覧ページに各教室のLINEリンクを設置しております。下のボタンからアクセスしてください。)栄進塾斐川校専用ページ
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<link>https://eishin-juku.net/column/detail/20240725205922/</link>
<pubDate>Mon, 05 Aug 2024 21:18:00 +0900</pubDate>
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