定期テストや高校入試にも役立つ中学歴史の時代別まとめ『原始時代~弥生時代』
2023/12/27
中学生にとって、社会の歴史は重要教科の一つです。歴史は覚えることも多いので、各時代別に時代の流れや特徴を押さえることが必要です。この記事では数回にわたって、各時代別の概要やキーワード・キーパーソンなどを紹介し、それぞれの時代がどんな特徴を持つのかを把握してもらいたいと思います。第1回目は原始時代から弥生時代までとなります。どうぞご覧ください !
目次
①原始時代 (旧石器時代~新石器時代)
【概要】
〔人類の誕生から旧石器時代まで〕
人類史上最も古い人類は今から700万年から600万年前にアフリカに現れた「猿人(えんじん)」とされています。猿人はすでに後ろ足で立って歩いていたと考えられており、前足(手)が自由に使えたため、道具を使うことを覚え、徐々に知能が発達していきました。
今から250万年前には、地球が寒冷化して氷河時代をむかえ、今から200万年ほど前には「原人(げんじん)」が現れ、打製石器(だせいせっき)を使い始めました。人類が打製石器を使って、狩りをしたり、木の実や草を食べながら生活していた時代を旧石器時代(きゅうせっきじだい)と呼びます。やがて人類は火や言葉を使えるようになりました。今から20万年ほど前には、現在の人類の直接の祖先にあたる新人〈ホモ・サピエンス〉が現れ、世界中に広がりました。当時は氷河期で海面が現在よりも低く、日本は大陸と地続きでした。そのため、大陸から日本まで歩いて移動することができました。
〔新石器時代〕
今から約1万年前には、人々は弓矢を使うようになり小動物をつかまえるようになりました。やがて麦や稲を栽培したり、羊や牛なども飼育するところも現れました。このころに土器が発明され、食物を煮たり、たくわえたりすることも始まりました。また、木を切ったり、加工したりしやすいように、磨製石器(ませいせっき)が使われるようになりました。土器や磨製石器を使い、農耕や牧畜が始まったこの時代を、新石器時代(しんせっきじだい)と呼び、旧石器時代と新石器時代をあわせて原始時代と呼びます。新石器時代には氷河期が終わり、海面が上昇し、大陸と分断され現在の日本列島が出来上がりました。その際に日本列島に留まっていた新人達が、現在の日本人の祖先です。
【キーワード・キーパーソン】
『猿人』
今から700万年から600万年前に現れた最古の人類。
『氷河時代』
地球の陸地の約3分の1が氷におおわれた氷期(ひょうき)と、間氷期(かんぴょうき)とよばれる温暖な時期がくり返された。
『原人』
今から200万年前に現れた人類で、打製石器を使っていた。
『打製石器』
するどい石の道具。
『新人(ホモ・サピエンス)』
今から20万年ほど前に現れた、現在の人類の直接の祖先にあたる人類。
『磨製石器』
木を切ったり、皮を加工したりしやすいように表面をみがいた石の道具
②縄文時代
【概要】
氷河時代が終わり氷がとけて海面が上がり、陸続きだった低い場所は海に沈んで陸の一部が島となり、日本列島ができました。日本列島に住んでいた人々は木の実などをたくわえたり、食料を煮たりするために土器を使いました。厚手で黒褐色の土器には縄目(なわめ)のような文様(もんよう)が描かれていたため、これらの土器は縄文土器と呼ばれています。この土器を使っていた紀元前1万年前から紀元前3世紀までの時代を縄文時代と呼びます。
この時代の人々はまだまだ生きていくための食べ物を探すことに精いっぱいで、みな平等に仲間と協力し合って暮らしていました。たて穴住居を建て小さな集団をつくり、集落の長老を中心にみんなで相談しながら共同生活を送っていました。
石槍(やり)や石矢じりなどを使って集団で狩りを行い、けものや鳥などをとっていました。また、動物の骨やキバといった骨角器を釣り針(つりばり)や銛(もり)として使い、河や海で漁をして魚や貝、海そうなどをとって暮らしていました。森林環境が変わったことで大型のマンモスゾウやオオツノジカは絶滅していき、代わりに小型の動物が日本で多く生息するようになりました。そのため人々の狩猟の対象も大型の動物から小型の動物へと変わっていきました。
さらに打製石器だけでなく、石を磨いてつくった磨製石器も登場したことで生活が便利になり、旧石器時代と比べて文明が一歩進みました。
【キーワード・キーパーソン】
『縄文土器』
縄目の文様が描かれた、厚手で黒褐色の土器。
『貝塚』
貝がらや食べ物の残りが捨てられた場所。
『たて穴住居』
地面をほってくぼませ、柱を立ててわらなどで屋根をかけた住居。
『土偶』
魔よけや食料の豊かさを祈るためにつくられた、土の人形のようなもの。
③弥生時代
【概要】
縄文時代はたて穴住居に住み、縄文土器や磨製石器といった道具を使って狩猟を中心に生活を発達させた時代です。続いて弥生時代は稲作が全国に広まり、青銅器・鉄器で農具を作ったり作物が保存できる高床式倉庫を建築したりと、農耕中心の生活が始まりました。
紀元前4世紀ごろ、朝鮮半島など大陸から移り住んだ人々によって、稲作が九州北部に伝わり、やがて東日本まで広まりました。人々は水田に適した場所に村をつくって住み、収穫した米は高床(たかゆか)倉庫をつくってたくわえるようになりました。高床倉庫とは名前のとおり、地上から少し高いところに建物が建てられており、湿気を防ぎ、風通しもよいためお米の保存に向いていました。また、ねずみのような小動物が外から侵入できないように、柱にはねずみ返しとよばれる広い板がくっつけられており、柱を登れたとしてもその板のところで落ちるしかけもありました。
稲作とともに、青銅器や鉄器などの金属器も伝わり、銅鏡(どうきょう)や銅鐸(どうたく)などが作られ、お祭りの宝物として使われるようになりました。鉄器は武器のほか、農具や舟をつくるための道具としても使われました。そしてこの頃、薄手で赤褐色の弥生土器がつくられるようになりました。静岡県の登呂遺跡(とろいせき)、佐賀県の吉野ヶ里遺跡(よしのがりいせき)で当時の様子を知ることができます。
このように弥生時代は集団生活が一般的になり、地方ごとに「クニ」が作られて身分の差が生まれたことが特徴です。
また、この頃の日本には邪馬台国という国があり、魏に朝貢(ちょうこう)しました。魏の歴史を書いた「三国志」や魏書の魏志倭人伝(ぎしわじんでん)には、女王の卑弥呼(ひみこ)が30余りの国を支配しており、魏に使いを送って皇帝から「親魏倭王(しんぎわおう)」の称号と、銅鏡など多くのおくり物を授けられたエピソードなど、3世紀ごろの日本の様子が書かれています。
【キーワード】
『弥生土器』
薄手の赤褐色の土器。
『邪馬台国』
女王・卑弥呼が支配していた国で、その場所が九州にあった説と、近畿(大和・奈良)にあった説とに分かれている。
『朝貢』
支配者が中国に使節を送って、皇帝に貢ぎ物(みつぎもの)を差し出す制度。中国の皇帝に認めてもらうことと、絹や銅銭などを得ることができる。
【キーパーソン】
『卑弥呼(ひみこ)』
『魏志倭人伝』等の古代中国の史書に記されている「倭国の女王」と称された人物。魏志倭人伝によると、倭人の国は多くの男王が統治していた小国に分かれていたが、2世紀後半に小国同士が抗争したために倭人の国は大いに乱れた。そのため、卑弥呼を擁立した連合国家的組織をつくり安定した。
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