定期テストや高校入試にも役立つ中学歴史の時代別まとめ『鎌倉時代』
2024/03/03
中学生にとって、社会の歴史は重要教科の一つです。歴史は覚えることも多いので、各時代別に時代の流れや特徴を押さえることが必要です。この記事では数回にわたって、各時代別の概要やキーワード・キーパーソンなどを紹介し、それぞれの時代がどんな特徴を持つのかを把握してもらいたいと思います。第4回目は鎌倉時代・国風文化の内容となります。どうぞご覧ください !
目次
①鎌倉幕府の開設
日本で初めて武家政権が誕生した1185年から1333年を鎌倉時代と呼びます。この約150年間は、日本史上で初めて武家による政治が行われた時代であり、武士が政権を持ったことで、さまざまな変化が起こりました。
源頼朝(みなもと よりとも)は、関東一円の武士を束ねつつ、弟の源義経(みなもとのよしつね)に軍を与えて「源平合戦」を主導します。
「壇ノ浦の戦い」で平家を滅ぼしたことで、政治の実権が平氏から源氏に移り、武士として初めて1192年に朝廷から征夷大将軍に任命されました。将軍と配下の武士は主従関係にあり、武士は御家人(ごけにん)として忠誠を誓って奉公しました。
源頼朝は、政務・財務事務を司る「公文所(のちの政所)」や土地争いなどの訴訟事務を行う「問注所」、荘園を管理し警察権を発動する守護・地頭など、政治に必要な機関を次々と作っていきます。
源頼朝が幕府という統治機関を生みだしたことで、日本の政治形態は大きな転換を遂げました。
②執権を握った北条氏
源頼朝の死後、幕府では後継者を巡る権力闘争が始まります。主導権を握っていたのは源頼朝の妻であった北条政子(ほうじょうまさこ)や、その父である北条時政(ほうじょうときまさ)でした。北条時政は将軍の力をおさえて初代執権となり、幕府の実権を握りました。
後白河天皇(ごしらかわてんのう)の死後、再び院政を始めた後鳥羽上皇(ごとばじょうこう)は専制政治を行い、遂には対立が深まっていた幕府の権力者・北条氏の討伐に動き出します。
1221年、後鳥羽上皇は、朝廷の力を取り戻すために兵を送って幕府をたおそうとして、鎌倉幕府軍と朝廷の戦いである「承久の乱(じょうきゅうのらん)」が勃発しました。この争いに敗れた後鳥羽上皇は隠岐(おき)の島に流されてしまい朝廷の権威は大きく失墜しました。
幕府は朝廷を監視するため、京都に六波羅探題(ろくはらたんだい)を置きました。1232年には、執権の北条泰時が、執権政治を進めるために御成敗式目(ごせいばいしきもく)を定めました。
③元寇
アジア大陸では、13世紀に遊牧民を統一したチンギス・ハンが国を建設し、その子孫はユーラシア大陸の東西を支配するモンゴル帝国を築きました。5代目のフビライ・ハンは、国を元と定めて皇帝となりました。元は日本も従えようとしましたが、執権の北条時宗がこれを断ったため、1274年と1281年の2回にわたって攻撃をしかけてきました。最初の襲撃を文永の役(ぶんえいのえき)、後の襲撃を弘安の役(こうあんのえき)と呼ばれ、2回の襲来を元寇(げんこう)と言います。日本にとっては初めて侵略戦争を仕掛けられたため、幕府は一切の外交政策や情報集めなどを行えず、日本軍は苦戦を強いられる事になりますが、辛うじてモンゴル軍を撤退させることに成功します。二度目の侵略では、事前に日本側が大きな石塁を築いたことで、戦いを優位に進める事が出来き、さらに「神風」といわれる暴風雨によって、モンゴル軍は壊滅し国土を守ることに再び成功しました。
④鎌倉文化
鎌倉時代の文化は、これまでの貴族中心の「国風文化」に、武士の精神や中国文化が新たに加わった「質実剛健な文化」へと変化しました。また、鎌倉時代に発展した新興仏教は、後の日本の宗教と道徳に大きな影響を及ぼしました。
鎌倉文化の特徴を最も表していたのは東大寺南大門の金剛力士像などのように、写実的で力強い仏像・神像・肖像彫刻でした。時代を代表する「慶派」と呼ばれる仏師集団の中でも、運慶・快慶らによる仏像彫刻は特筆すべきものでした。
また鎌倉新仏教と呼ばれる、浄土宗・浄土真宗・時宗・日蓮宗・臨済宗・曹洞宗といった多くの新興仏教が生まれます。浄土信仰の教えをより強くするために、法然(ほうねん)が浄土宗を開き、その弟子の親鸞(しんらん)は浄土真宗を開きました。一遍(いっぺん)は、念仏の教えを広める時宗(じしゅう)を開きました。浄土信仰とは別に日蓮(にちれん)は日蓮宗(法華宗)を開き、栄西や道元は、宋にわたって座禅によって悟(さと)りを開く禅宗を伝え、武士の気風にあっていたことから、幕府は禅宗を保護しました。
鎌倉時代には平家物語や保元物語、平治物語といった武士が主役の戦乱を描いた軍記物が数多く生まれます。これらの作品は作者不明なのものが多く、琵琶法師(びわほうし)と呼ばれる盲目の僧が、琵琶による弾き語りで各地に伝えたといわれており、当時文字の読めなかった庶民や武士の間にも広く知られることとなります。
⑤鎌倉時代のキーパーソン・キーワード
【キーパーソン】
源頼朝
関東を拠点に政権をにぎる平氏をほろぼし、後に征夷大将軍に任命されて鎌倉幕府を開いた。
北条氏
鎌倉幕府の下で、代々にわたって将軍を補佐する執権の地位につき、政治などの実権をにぎった。
吉田兼好
随筆集「徒然草」を書いた作家。
法然
浄土宗を広めた僧。
親鸞
法然の弟子として、浄土真宗を広めた。
日蓮
日蓮宗を開いた僧。
一遍
時宗を開いた僧。
栄西・道元
禅宗を伝えた僧で、栄西は臨済宗(りんざいしゅう)、道元は曹洞宗(そうとうしゅう)を開いた。
チンギス・ハン
モンゴル高原の遊牧民・モンゴル民族をまとめて、モンゴル帝国を築いた。
フビライ・ハン
モンゴル帝国の5代目皇帝で、都を大都(だいと)に移して、国号を元とした。
【キーワード】
執権
将軍を補佐して、政務を取り締まる地位。北条氏がこの地位を長く維持(いじ)したため、執権政治と呼ばれた。
御家人
将軍と主従(しゅじゅう)関係にあって、命をかけて将軍を守ったり戦ったり(奉公)した武士。
守護・地頭
守護は、地方の国ごとに御家人を監督したり、国を警備する。地頭は、荘園の年貢を集めたり、幕府の領地の管理や警備をする。
承久の乱
後鳥羽上皇が兵を送って幕府をたおそうとしたが、幕府の軍によって敗れた争い。後鳥羽上皇は隠岐の島に島流しとなった。
御成敗式目
北条泰時が制定した武士政権のための法令。
六波羅探題
朝廷の動きを監視する幕府の機関。
元寇
モンゴル帝国による日本への襲来のことで、1274年の文永の役と1281年の弘安の役、2度の襲来を言う。
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