定期テストや高校入試にも役立つ中学歴史の時代別まとめ『室町時代』
2024/04/17
中学生にとって、社会の歴史は重要教科の一つです。歴史は覚えることも多いので、各時代別に時代の流れや特徴を押さえることが必要です。この記事では数回にわたって、各時代別の概要やキーワード・キーパーソンなどを紹介し、それぞれの時代がどんな特徴を持つのかを把握してもらいたいと思います。第4回目は室町時代の内容となります。どうぞご覧ください !
目次
①南北朝と室町幕府
鎌倉幕府が滅びた後、後醍醐天皇による天皇中心の新しい政治が始まりました。これを建武の新政と言い、武家の政治から公家(くげ)の政治へと転換しました。しかし公家を優遇した政治に不満を抱いた武将・足利尊氏(あしかがたかうじ)が挙兵し、湊川の戦いで後醍醐天皇は敗れます。足利尊氏が持明院統の光明天皇(こうみょうてんのう)を擁立し、室町幕府を開いたことで室町時代が始まります。戦いに敗れた後醍醐天皇は吉野に逃げ、そこで朝廷を開いたため、2つの朝廷ができました。京都を北朝、吉野を南朝と呼んで、争いがくり返されたこの時代を南北朝時代と呼びます。
尊氏は北朝から征夷大将軍に任命され、室町幕府を開いて全国の武士をまとめようとしました。混乱していく各地域を治めるために、幕府は地域の支配者として有力な武士を「守護」として派遣。地域を治めるために、守護の権限と権力を強化していくことで「守護大名」と呼ばれるまで成長していきました。尊氏の孫に当たる第3代将軍足利義満(あしかがよしみつ)のころになると、世の中が落ち着き、1392年に南北朝が統一されました。幕府は朝廷に代わって権力を持つようになり、将軍の補佐役として管領(かんれい)を置き、京都を支配しました。地方では守護大名が国司の権限を持ち、武士をまとめて国を支配するようになりました。
②大陸の動き
14世紀の東アジアでは、元に代わって明が中国を支配し、モンゴル民族を北部へ追いやりました。日本は元の時代から経済的な交流を持っていましたが、明とも貿易を続け、経済や文化に大きな影響を与えました。このころに船を襲ったり、無理な貿易をさせたりする倭寇(わこう)が現れました。義満は倭寇を取り締まるために、貿易の正式な証明書となる勘合(かんごう)と称される交易許可証を所持した船のみが取引できるというルールを定めた勘合貿易を始めました。
朝鮮半島では、14世紀末に李成柱(りせいけい)が、高麗をほろぼして朝鮮国をつくり、ハングル文字の開発など独自の文化が発展しました。
③琉球と蝦夷地
琉球(沖縄県)では、城(グスク)を本拠地に、按司(あじ)と呼ばれる豪族が勢力争いをしていましたが、14世紀になると北山(ほくざん)、中山(ちゅうざん)、南山(なんざん)の3勢力にまとまりました。15世紀には、中山の王である尚氏(しょうし)が北山と南山をほろぼして沖縄を統一し、琉球王国を建設しました。琉球王国は、その黎明期(れいめいき:新しい時代などが始まろうとする時期)に、明朝との貿易による後ろ盾を得たことで繁栄を築いた国です。那覇(現在の沖縄県那覇市)には明から渡来した人々のための町を作り、そこに操船や造船の専門家をはじめとする「久米三十六姓」(くめさんじゅうろくせい)と呼ばれる職能集団を住まわせ、技術や文化を吸収していきました。
一方、蝦夷地(えぞち=北海道)では、アイヌ民族が生活しており、14世紀に津軽国と交流するようになりました。15世紀なると本州から蝦夷地南部に進出する人も増え、交易がさかんになりました。
④室町時代の産業と経済
南北朝の争いがおさまると、社会も安定し、農業や工業が各地でさかんになりました。農業では二毛作が広がり、桑や茶などの栽培が広く行なわれました。また農村では、惣(そう)をつくり「寄合」(よりあい)によって定められた掟に基づき、灌漑用水などの共同管理や年貢の納入などを行いました。
工業では陶器や絹織物、鍛冶(かじ)、鋳物(いもの)などの技術が発達し、各地で特産物が生産されました。手工業の原料となる桑(和紙の原料)や藍(染料の原料)などの栽培が盛んになり、これまで輸入に頼っていた木綿(綿布の原料)の生産も、三河地方(現在の愛知県中・東部)で始められました。
商業では、定期市が各地で開かれ、経済が活性化しました。商人たちは同業者ごとに座(ざ)を結成し、武士や貴族にお金をおさめて営業を独占する権利を持つようになりました。
⑤北山文化・東山文化
北山文化は三代将軍・足利義満の別荘・北山殿を中心に栄えました。「北山文化」。貴族の住宅様式に「武家の風格」と「禅宗の落ち着き」が見事に融合された、北山殿は北山文化を代表する建造物と言っても過言ではありません。北山殿は金閣寺として名前を変え、現代でもその姿を見られます。
また北山文化では茶の栽培が広まったことから、茶の湯が流行したのをはじめ、猿楽(さるがく)や田楽(でんがく)を観阿弥(かんあみ)・世阿弥(ぜあみ)の親子が能として大成させました。
山や水などの自然を題材とした山水画をベースに、墨を水で薄め、濃淡やぼかしが特徴的な水墨画も北山文化の中で誕生しました。
東山文化は八代将軍・足利義政が築いた隠居所「東山山荘」を中心に発展していきました。
公家・武家・禅宗の文化が融合した北山文化をベースに、禅の特色を強めました。禅の簡素な物に美しさを見出すという精神と、書院造(しょいんづくり)を取り入れた質素な雰囲気の「東山山荘」は、江戸時代に銀閣寺と名を変え、現代の日本でも見られます。絵画では北山文化からの流れで水墨画が流行し、民衆の間では狂言が話題になりました。
⑥室町時代のキーパーソン・キーワード
【キーパーソン】
後醍醐天皇
鎌倉幕府をたおして建武の新政を行なった天皇。その後足利尊氏の離反によって吉野に逃げ、南朝の政権を樹立した。
足利尊氏
鎌倉幕府をたおしたあと、後醍醐天皇を吉野へ追いやり、京都に新天皇を立てて南北朝のきっかけをつくった。北朝より征夷大将軍に任命され、室町幕府を開く。
足利義満
南北朝の争乱をしずめて統一をはかった室町幕府の第3代将軍。京都・鹿苑寺(ろくおんじ)に金閣を建設し、勘合貿易を始めた。
足利義政
室町幕府の第8代将軍で、京都・慈照寺に銀閣を建てた。
観阿弥・世阿弥
猿楽や田楽を、能として芸能に大成した親子。
【キーワード】
建武の新政
武家政治から天皇中心の公家の政治へと転換(てんかん)をはかるための政治体制。武士より反感を持たれ2年で崩壊した。
南北朝
足利尊氏に敗れた後醍醐天皇が吉野で朝廷を維持し、尊氏が京都に新しい天皇を立てたため2つの朝廷が成立した。京都は北朝、吉野は南朝と呼ばれた。
勘合貿易
足利義満が明の要請(ようせい)で始めた貿易。倭寇を禁止するために、交易を認めた船に勘合という証明書を持たせた。
琉球王国
15世紀に尚氏が沖縄を統一して建国した王国。
惣
村ごとにつくられた自治を中心とした共同組織。
書院造
寺院の部屋の様式を、武家の住居に取り入れた建築。
水墨画
宋や元で流行していた画風で、墨一色で自然や風景を表現した絵画。雪舟などが有名。
狂言
能の合間に民衆の生活などを表した小芝居(こしばい)。
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