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定期テストや高校入試にも役立つ中学歴史の時代別まとめ『江戸時代 後期』

定期テストや高校入試にも役立つ中学歴史の時代別まとめ『江戸時代 後期』

2024/07/24

中学生にとって、社会の歴史は重要教科の一つです。歴史は覚えることも多いので、各時代別に時代の流れや特徴を押さえることが必要です。この記事では数回にわたって、各時代別の概要やキーワード・キーパーソンなどを紹介し、それぞれの時代がどんな特徴を持つのかを把握してもらいたいと思います。第6回目は江戸時代 後期の内容となります。どうぞご覧ください !

目次

    享保の改革

    徳川吉宗(とくがわよしむね)が第8代将軍になった時、幕府は財政難に苦しんでいました。吉宗は武士に質素倹約を命じ、役人の無駄遣いを厳しく禁止した他、庶民にも着物の色などを細かく定めるなどのルールを定めました。さらに「上米の制」(あげまいのせい)を定め、これまで年貢を納めなくてよかった直轄地以外の大名からも徴収。また新田開発にも力を入れ、幕府の収入は増加しました。
    その他、裁きの基準となる公事方御定書(くじかたおさだめがき)を定め、庶民の意見を聞く目安箱を設置しました。こうした吉宗の政治改革によって幕府の財政難は一時的に立ち直りました。これを享保の改革と言います。

    田沼意次の政治と寛政の改革

    田沼意次の政治

    18世紀後半、財政難に陥った幕府は徳川吉宗の政策を引き継ぎ、財政再建に取り組みます。その最前線で次々と政策を実行したのが田沼意次でした。田沼は徳川吉宗と違って年貢を強化するのではなく、商業を盛んにすることで財政を建て直そうとしました。例えば株仲間(かぶなかま:商業の統制を図るために、同業の問屋で結成した組織)の奨励や、銅座(どうざ:銅の取引や鋳造を行った商人の集まり)・人参座(にんじんざ:薬用人参の販売を行う商人の集まり)・枡座(ますざ:枡の販売を行う商人の集まり)などを作って専売制を敷き、商人から運上金(うんじょうきん:商人が幕府に納めた税)を取り立てたのです。他にも鉱山の採掘や貨幣の鋳造など、田沼意次は商業を重視することで幕府の財政改革に努めました。このように、田沼意次が中心となって幕政を改革した時期を「田沼時代」と呼びます。

    しかし、1782年に悪天候や冷害によって農作物の収穫が激減し、1788年まで凶作(きょうさく)が続きました。これを「天明の大ききん」と言います。各地で百姓一揆がおこり、田沼は老中を失脚(しっきゃく)しました。

    寛政の改革

    田沼意次の後を継いで老中になった松平定信(まつだいらさだのぶ)は、吉宗の享保の改革を手本に、改革を行いました。これを寛政の改革と言います。改革の主な目的は、飢饉に備えた蓄えをつくること。農村には蔵を建てさせ、収穫量に対して一定割合の米や雑穀を保存しておく「囲い米」(かこいまい)をするようおふれを出し、凶作の年には放出し、また生活に困った人への貸付も行うようにしました。
    松平定信はこれらの政策で、人々を救済する一方で倹約令を発出。また幕府に対する役人の忠誠心を高めるため、主君や親への忠孝を重んじる「朱子学」(しゅしがく)以外の学問を禁止するなどして、思想の統制を図りました。しかし、こうした政策は多くの人々の反感を買い、松平定信は失脚へと追い込まれました。

    天保の改革

    天保の大ききんと大塩平八郎の乱

    19世紀になると、イギリスやアメリカの船が日本近海に現れるようになり、イギリスの軍艦が長崎港に侵入するフェートン号事件が起こりました。幕府は異国船打払令(いこくせんうちはらいれい)を発令し、漂流民を引き渡そうと近づいたアメリカの船を砲撃する事件も起きました。また天保(てんぽう)年間に入ると日本各地で作物の凶作によって飢え死にするものが増え(天保の大ききん)、百姓一揆や打ちこわしが一気に行われました。この状況を見かね、1837年に大阪の役人であった大塩平八郎(おおしおへいはちろう)が民衆たちをせんどうして富裕層を襲いました。これが大塩平八郎の乱です。

    強まる各藩の政治力

    1841年に老中の水野忠邦(みずのただくに)は、幕府の力を回復させるために、倹約令を出して、派手な風俗を取り締まりました。また、政治批判や風紀を乱す出版を禁止し、物価の上昇をおさえるために株仲間に解散を命じ、地方在住の商人に江戸での商売を許可して自由競争を行わせ物価高の解消を図りました。これらの政治をを天保の改革と言います。

    この頃には生産のしくみががらりと変わって産業が発達します。従来は問屋制家内工業(とんやせいかないこうぎょう)という農家が製品を家で製作して問屋が買い取るのが主流でしたが、途中から地主や商人が工場を建てて労働者を雇って生産する工場制手工業(マニュファクチュア)が増えてきました。

    ですが、やはりこの政治改革も厳しすぎたために町人や農民ならず大名や旗本からも不満が高まり、たった2年で改革は失敗に終わり、水野忠邦は老中から失脚しました。

    江戸時代 後期のキーパーソン・キーワード

    【キーパーソン】

    徳川吉宗

    第8代将軍で、質素倹約を命じたり、農業生産を奨励したりして享保の改革に取り組んだ。

    田沼意次

    老中として、商工業を支援して幕府の財政難を救おうとしたが、天明の大ききんによって各地で百姓一揆が起こり、幕府の閣僚の反感を買って失脚した。

    松平定信

    寛政の改革を行ない、倹約令を出したり、米の備蓄(びちく)をさせるなど、幕府の財政難を立て直そうとした。

    水野忠邦

    老中として、幕府の力を回復させるために天保の改革を行なった。

    【キーワード】

    上げ米の制

    大名が参勤交代で江戸にいる期間を1年から半年に短縮するかわりに、1万石につき100石の米を幕府におさめることを義務づけた。

    公事方御定書

    奉行の裁判の基準となる法律。

    目安箱

    庶民の要望や考えを直接聞くために設置された意見箱。

    問屋制家内工業

    問屋が農民に織機などの道具を買うお金を前貸しして、製品を安く買い取るようにすること。

    株仲間

    問屋や仲買人(なかがいにん)などの大商人が、同業者の組織をつくり、幕府の許可をとって商品の販売などを独占した。

    営業税

    商工業者に特権を与える代わりに、税をとった。

    天明の大ききん

    悪天候や冷害、浅間山の噴火(ふんか)などで農作物に被害が出て、全国で数万人の人々が餓死(がし)した大ききん。1782年から1788年まで続いた。

    異国船打払令

    日本に近づいたオランダ船以外の外国船を打ち払うよう大名に命じた法律。

    大塩平八郎の乱

    1837年に、天保の大ききんにより各地で米不足がおこり、多くの餓死者を出した中で、豪商が利益のために米を買い占めていたため、大阪奉行所の役人で陽明学者である大塩平八郎が、弟子を集めて豪商をおそった。平八郎たちは奉行所の兵に取り押さえられたが、幕府に不満を持つ民衆に影響を与えた。

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