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定期テストや高校入試にも役立つ中学歴史の時代別まとめ『江戸時代 前期』

定期テストや高校入試にも役立つ中学歴史の時代別まとめ『江戸時代 前期』

2024/06/08

中学生にとって、社会の歴史は重要教科の一つです。歴史は覚えることも多いので、各時代別に時代の流れや特徴を押さえることが必要です。この記事では数回にわたって、各時代別の概要やキーワード・キーパーソンなどを紹介し、それぞれの時代がどんな特徴を持つのかを把握してもらいたいと思います。第6回目は江戸時代 前期の内容となります。どうぞご覧ください !

目次

    江戸幕府の成立

    豊臣秀吉が亡くなると、関東を支配していた徳川家康(とくがわいえやす)が勢力をのばしました。1600年に豊臣氏の政権を守ろうとする豊臣秀頼(とよとみひでより)と石田三成(いしだみつなり)を関ヶ原の戦いで破り、全国を支配する実権をにぎりました。家康は朝廷から征夷大将軍に任命され、1603年に江戸幕府を開きました。その後江戸幕府は約260年あまり続きますが、この記事でまとめている江戸時代前期は徳川家康が実権を握るきっかけとなった1600年の関ヶ原の戦いから、3代将軍徳川家光(とくがわいえみつ)までの時代(1650年くらいまで)を指しています。この徳川家康から徳川家光までの時代は、武力を背景にして諸大名たちを押さえることができていた武断政治(ぶだんせいじ)といわれ、江戸幕府の基礎を確立した時代であることを押さえておきましょう。

    武家の制度

    幕府は大名を親藩(しんぱん)・譜代(ふだい)・外様(とざま)の3つに分けて管理しました。親藩は徳川氏一門の大名であり、徳川家康の子供によって分家した尾張(おわり)・紀伊(きい)・水戸(みと)が御三家(ごさんけ)と呼ばれました。

    譜代は初めから徳川家につき従っていた大名なのに対し、外様は関ヶ原の戦い以降に徳川家に従った大名であり、親藩・譜代は関東や近畿の要地に配置され、外様は九州や四国などに配置されました。

    これには信頼の厚い大名たちで要所を管理させ、それ以外の場所に外様大名を配置することで互いを監視させて均衡を保とうとするねらいがありました。

    1615年には、武家を取り締まるために武家諸法度(ぶけしょはっと)を定め、背いた大名や武士には家の取りつぶしなどの罰則を与えました。さらに将軍への忠誠を確認するため、3代将軍家光は参勤交代(さんきんこうたい)として大名が1年おきに江戸と領地を住み替えることを制度化しました。

    一方でまた朝廷を監視する京都所司代を置き、禁中並公家諸法度(きんちゅうならびにくげしょはっと)で、天皇や公家の行動を制限しました。

    江戸幕府の外交と朱印船貿易

    徳川家康は1600年、豊後(大分県)にオランダ船が漂着し、乗船していたイギリス人航海長のウィリアム=アダムズ(日本名:三浦按針)とオランダ人航海士のヤン=ヨーステンを江戸に呼び寄せ、その後幕府の外交の相談役として重用しました。また家康は海外貿易を発展させるために、朱印状を発行し、これを持った日本船(朱印船)を保護するようにルソン、シャム(タイ)、安南(ベトナム)などに依頼しました。これを朱印船貿易と呼びます。さらに平戸(長崎県)に貿易のための商館をつくりオランダとイギリスとの貿易を開始しました。1609年には朝鮮との国交が回復し、朝鮮通信使が日本に派遣されました。通信使は各地で日本と交流し、貿易も行ないました。また、独立王国だった琉球を薩摩藩が攻め、役人を琉球に送って監督しました。

    キリスト教禁止令と鎖国

    キリスト教の信仰が全国に広まる中、1612年、幕府は幕領(ばくりょう)に対してキリスト教禁止令を出し、信仰を捨てないキリスト教信者を処刑しました。また、家光は1635年に日本人の渡航を禁止し、朱印船貿易も停止しました。長崎に住んでいたポルトガル人を出島(でじま)に移し、日本人と交流させないようにしました。

    こうしたキリスト教徒への迫害(はくがい)や厳しい年貢の取り立てに対して、キリスト教信者たちが天草四郎(あまくさしろう)をリーダーとして反乱を起こしました。これが島原の乱(しまばらのらん)と呼ばれるもので、九州の島原・天草地方で起こり、最終的には幕府の力によってしずめられました。

    幕府は、この一揆をおさえた後、ポルトガル人を追放し、貿易も中国船とオランダ船だけに制限しました。こうした外国との交流を制限した体制を「鎖国(さこく)」と言います。

    以後、キリスト教徒を取り締まるために、江戸幕府は絵踏(えふみ)とよばれるキリストやマリアの画像をはめた板を踏めるかどうかでキリスト教信者を見分けていました。

    江戸時代の産業

    江戸時代には農業や様々な産業が発達しました。幕府や藩は土地を開墾したり、海や沼地を埋め立てて、新田を開発しました。農業技術の進歩で生産力も上がり、新しい作物も栽培されました。佐渡金山や石見銀山など鉱山の開発も進み、そこで採取された金や銀は、金座や銀座で金貨、銀貨になり全国に流通しました。林業や漁業も発展した他、酒やしょうゆ、磁器、和紙など、各地で特産物がつくられるようになりました。

    家康は江戸幕府を開いた時に、経済の活性化を目的として日本橋を起点にした5街道(東海道・中山道・甲州街道・日光街道・奥州街道)の整備にも着手しました。この五街道の要所には関所を設置し、いずれもある程度の間隔で宿場町が造られ、人足(にんそく:荷物の運搬などを行う者)や伝馬(てんま:逓送用の馬)が常備されました。これにより人や物の流通が飛躍的に促進されたことが江戸幕府が長期政権となった大きな理由のひとつです。これ以外にも陸や海の交通網が各地で整備され、港町や宿場町は大勢の人たちでにぎわいました。特に江戸と大坂の間には菱垣廻船(ひがきかいせん)や樽廻船(たるかいせん)が定期的に行き来して、流通面で大きな役割を果たしていました。東北や北陸の年貢米を運ぶための西回り航路と東回り航路も開設され、河川を使った水運も発達しました。

    江戸時代 前期のキーパーソン・キーワード

    【キーパーソン】

    徳川家康

    関ヶ原の戦いと、2度の大坂の陣で豊臣氏をほろぼし、江戸幕府を開いた。都を江戸に移して現代の東京の基礎を築いた。

    石田三成

    豊臣秀吉の後を継いだ秀頼を補佐した武将。家康と対立し、関ヶ原の戦いで西軍を率いたが、東軍に敗れた。

    天草四郎

    キリシタンの少年で、島原・天草の一揆の際に、大将となって幕府と戦った。
     

    【キーワード】

    関ヶ原の戦い

    豊臣氏を西軍、徳川家康を東軍とし、全国の大名がどちらかについて岐阜県の関ヶ原で争いをくり広げた。

    江戸幕府

    徳川家康から15代の将軍に引き継がれて、260年あまりも続いたが、その間は戦乱がなく平和な日々が続いた。

    三奉行

    寺社奉行、町奉行、勘定奉行を言う。

    武家諸法度

    大名が許可なく城を修理したり、大名同士が無断で縁組みをしたりできないよう、武士の行動や規律を記した法律。

    参勤交代

    大名は江戸と領地を1年おきに往復することを義務づけることで、大きな出費を藩に課し、藩が経済力を持たないようにした。

    朱印船

    貿易のために、幕府が発行した朱印状を持ち、海外への渡航を許可された日本の船。

    五街道

    東海道、中山道、甲州街道、奥州街道、日光街道の5つの街道

    禁中並公家諸法度

    天皇や公家の行動を制限した法律。

    鎖国

    外国との交易を制限し、日本人の海外への渡航を禁止した政策。

    菱垣廻船・樽廻船

    江戸と大坂を結ぶ物資輸送のための貨物船。

     

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