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定期テストや高校入試にも役立つ中学歴史の時代別まとめ『戦国時代』

定期テストや高校入試にも役立つ中学歴史の時代別まとめ『戦国時代』

2024/04/26

中学生にとって、社会の歴史は重要教科の一つです。歴史は覚えることも多いので、各時代別に時代の流れや特徴を押さえることが必要です。この記事では数回にわたって、各時代別の概要やキーワード・キーパーソンなどを紹介し、それぞれの時代がどんな特徴を持つのかを把握してもらいたいと思います。第5回目は歴史好きの人にも人気の戦国時代の内容となります。どうぞご覧ください !

目次

    ①戦国時代の始まり

    戦国時代の始まりは室町幕府の力が衰え、下剋上の世の中に突入した時代、つまり戦乱の世へと移り変わった象徴的な出来事である「応仁の乱」を初めとする考え方が一般的です。応仁の乱は1467年に京都で起こり、約11年間も続いた後継者争いです。京都が焼け野原となり幕府の力が一気に弱まっただけでなく、争いは全国に広がり、各地で家臣が守護大名を倒すという下剋上の風潮が高まりました。
    最近の研究では応仁の乱以降の1493年に管領の細川政元(ほそかわまさもと)によって起こされ明応の政変が戦国時代の始まりとする考え方も出てきています。いずれにしても、戦国時代、そして室町時代を理解するうえではどちらも重要な出来事なので、年号といっしょに必ず覚えておきましょう。

     

    と、室町幕府の中央政権としての力が完全に失われることとなった「明応の政変(めいおうのせいへん)」を初めとする考え方の二つがあります。

    いずれも室町幕府の力が衰退したことを指しているのに変わりはありませんが、どちらも重要な出来事であることから、その年代と内容はセットで覚えておきましょう。

    まず、応仁の乱は1467年に京都で起こり、約11年間も続いた後継者争いです。京都が焼け野原となり幕府の力が一気に弱まっただけでなく、争いは全国に広がり、各地で家臣が守護大名を倒すという下剋上の風潮が高まりました。

    ②戦国時代の代表的な武将

    戦国時代はその名のとおり、多くの戦国大名たちが実力をつけ、ときに武力をもって敵の部隊を圧倒し、ときに知略と謀略をめぐらして名のある武将を討ち取るなど、覇権をめぐって勢力争いに明け暮れた時代でした。中でも下剋上の時世に乗り、立身出世して戦国の世に名を残した戦国大名や武将をご紹介します。

    戦国時代最強の武将①  上杉謙信

    戦国時代最強の武将のひとりと言われているのが越後の上杉謙信(うえすぎけんしん)です。武将として優れていたことはもちろん、上杉謙信が率いる越後兵(えちごへい)は槍兵を中心とした最強の部隊でもありました。

    ほとんどの戦に勝っていた上杉謙信は、ライバルであった武田信玄(たけだしんげん)や織田信長にも何度も打ち勝っています。なかでも領地が隣り合っていた武田信玄とは幾度となく戦い、12年間で5回にもわたって争われた川中島の戦い(かわなかじま)はとても有名です。

    戦国時代最強の武将②  武田信玄

    戦国時代の最強の武将として、よく挙げられるのが上杉謙信のライバルであった武田信玄です。「甲斐の虎(かいのとら)」という異名が付けられているように、戦上手だった武田信玄は当時から多くの武将たちにおそれられていました。

    槍兵主体の上杉謙信とはちがって、武田信玄を支えた最強の部隊こそが騎馬隊です。「赤備え(あかぞなえ)」といわれた武田信玄の騎馬隊は武具や馬具を赤一色でそろえており、戦国きっての精鋭部隊でありました。

    その赤備えを率いていた山県昌景(やまがたまさかげ)は武田信玄の家臣ながら、戦国時代最強の武将の一人としてもよく挙がります。

    この他にも美濃の斎藤道三(さいとうどうさん)や相模の北条早雲(ほうじょうそううん)は身分が低かったところから、実力で戦国大名にまで上りつめた下剋上の象徴ともいえる人物なので覚えておきましょう。

    ③戦国時代の終わり

    戦国時代の終わりは織田信長(おだのぶなが)が1568年に京都へと上洛(じょうらく)し、1573年には第15代将軍の足利義昭(あしかがよしあき)を追放して、実質的に室町幕府が中央政権としての機能を失った頃だという説が代表的です。室町幕府が衰えた後も戦乱の世はこの後もしばらく続きます。戦国時代とは日本を誰かひとりが統治するのではなく、戦いの絶えない時代であったと考えるならば、豊臣秀吉が全国の大名たちを従え、日本を一つに統一した1590年までが戦国時代であるとも言えるでしょう。

    ④鉄砲とキリスト教の伝来

    戦国時代の人々の生活を語る上でかかせないのが、ヨーロッパとの交流です。

    1543年には鹿児島県の種子島(たねがしま)に流れ着いたポルトガル人から鉄砲が伝来しました。織田信長が戦に取り入れて次々に強敵を撃破したように、鉄砲が伝わったことは日本の歴史を大きく影響することとなります。

    ポルトガル人やスペイン人は南蛮人(なんばんじん)と呼ばれ、商人や大名たちは長崎や平戸で貿易を行いました。これを南蛮貿易(なんばんぼうえき)と言います。

    南蛮貿易によって当時は日本になかった大陸の物珍しいものが多く輸入されることとなり、大名や商人だけでなく一般庶民の間にも多くのものが流通して生活や文化に影響を与えました。

    また、戦国時代に西洋から伝来したものとして重要なのがキリスト教です。1549年に鹿児島に宣教師フランシスコ=ザビエルがやってきてキリスト教を日本に伝えました。キリスト教は日本各地に信者をつくっていき、大名の中でも小西行長(こにしゆきなが)や高山右近(たかやまうこん)などキリスト教信者(キリシタン大名)となる人も出てきました。

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